微小なタグとラマン顕微鏡を組み合わせ、蛍光物質を用いない分子イメージング手法を開発
2011年4月28日
独立行政法人 理化学研究所
基幹研究所 袖岡有機合成化学研究室
袖岡 幹子 主任研究員

生きた細胞内での分子イメージングのタグ(目印)として欠かせない蛍光物質は、通常20~30個以上の原子から成り、大きい分子であるために、見たい分子の挙動を蛍光物質が変えてしまう可能性があることが常に議論になっている。
独立行政法人 理化学研究所 基幹研究所 袖岡有機合成化学研究室の袖岡幹子主任研究員らのグループは、2個の炭素原子が三重結合でつながったアルキンをタグにし、ラマン顕微鏡と組み合わせることで、蛍光物質を用いない、新たなイメージング法を開発した。この研究は科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(ERATO型研究)の袖岡生細胞分子化学プロジェクトの成果のひとつだ。
袖岡主任研究員は2008年度から、このプロジェクトを率い、有機合成化学、分析化学、生化学、細胞生物学、物理化学、遺伝子工学、工学などの理論や手法を駆使して、細胞のネクローシス(壊死)をテーマに研究を進めている。ネクローシスは、脳梗塞や心筋梗塞に代表される、虚血組織によく見られる細胞死のひとつだ。
細胞死には、熱や放射線、酸化ストレスなどで傷ついた細胞が膨れあがり、破裂するネクローシスと、細胞自らが縮小・断片化して死ぬアポトーシス(細胞の自死)がある。「かつては、一定以上に細胞が傷つけば受動的にネクローシスが起こり、それを制御する仕組みはないと考えられていて、アポトーシスに比べると研究の進展が遅かった」と袖岡主任研究員は話す。
ネクローシス研究のきっかけとなったのは、1990年代後半に、市販のプロテインキナーゼ阻害剤BMⅠがネクローシスを抑制することを発見した研究者から、その効果を高めた化合物を作ってほしいと依頼されたこと。研究するうちに、BMⅠのタンパクリン酸化の阻害作用はネクローシスと関連しないと考え、ネクローシスだけを抑制する候補化合物を200以上合成した。そして、アポトーシスは抑制せず、酸化ストレスで誘導されるネクローシスを選択的に抑制するインドリルマレイミド-54(IM-54)の合成に成功。IM-54は、脳梗塞や心筋梗塞のような虚血再灌流障害モデル動物でも梗塞部の壊死を止める効果があり、ミトコンドリアにあるタンパクと結合することを突き止めた。
このような化合物の創製・合成や機能の研究において、ネックとなったのが、分子イメージングに使うタグだ。袖岡研究室では、かつて研究中の化合物にさまざまな蛍光物質を付けた場合を比較し、細胞内の化合物の分布が蛍光物質に影響を受けたことを確認した経験がある。そこで、ERATOでは、ネクローシスの研究とともに、新たなタグやイメージング法の開発も推進することに決めた。
アルキンをタグにしたのは、生きた細胞に使えるラマン顕微鏡で、その三重結合が独特のシグナルを発するからだ。また、化合物の生物活性を落とさず、細胞への悪影響も少ないために、すでにアルキンの化合物が多く作られ、細胞を殺した状態で反応させて後から蛍光物質をいれるやり方での観察に使われていること、電荷がなく、細胞膜を通るほどの小ささであることもメリットだった。
ラマン顕微鏡では、ある振動数の光を入れたときに分子振動により生じる微量の光の散乱(ラマン散乱)を検出して分子を区別する。この分子振動を利用する原理が有機合成化学で構造解析に使う赤外分光法と共通し、「私たちにもなじみやすいという印象を持った」(袖岡主任研究員)。調べてみると、袖岡研究室の隣の建物に河田聡主任研究員(大阪大学大学院工学研究科教授)の河田ナノフォトニクス研究室があり、ラマン顕微鏡の研究者である阪大河田研究室の藤田克昌准教授との共同研究が始まった。
今回の研究では、細胞分裂時に核に取り込まれ、DNA複製の材料となる2’-デオキシチミジン(dT)に似た構造を持つ2’ -デオキシウリジン(dU)にアルキンを結合させた5-エチニル-2’ -デオキシウリジン(EdU)をヒト子宮頸がん由来細胞(HeLa細胞)の培養液に加え、ラマン顕微鏡で観察し、EdUが細胞核にだんだん取り込まれる様子をモニターすることに成功した(図版)。dTは細胞内の酵素によって3つのリン酸がつけられた後、DNAポリメラーゼによってDNAに取り込まれる。構造が大きく変わると、これらの酵素によって認識されなくなる可能性もあるが、アルキンタグを付けたEdUは、dTと同様に核内に取り込まれ、細胞分裂がおこる様子を観察できた。このことで、小さなアルキンタグとラマン顕微鏡を利用したイメージング法の有用性を示す結果となった。
袖岡主任研究員らは、現在、IM-54を含めた他の化合物にもアルキンタグを付けて挙動を調べているところだ。 「1分子まで見えるようになった蛍光イメージングに比べ、ラマン顕微鏡は、現時点では大きく感度が劣っている。しかし、今後、ラマン顕微鏡の解像度と感度をさらに向上させ、新しいイメージング手法として広く使えるものにしていきたい」。
袖岡研究室では、細胞の情報伝達に影響を与える生理活性物質の標的タンパクを追う一方で、標的タンパクに合うシャープな阻害剤を設計合成して、標的タンパクの機能を調べるなど、有機合成化学を軸に、低分子化合物を用いて生体機能を明らかにすることをめざしている。新たな化合物の創製に加え、天然化合物の全合成や新しい合成手法の開発など、研究の範囲は幅が広い。「生物学の役に立つプローブ分子を作り、それが薬の開発につながればうれしい」と袖岡主任研究員は語っている。
Hiroyuki Yamakoshi et al. “Imaging of EdU, an Alkyne-Tagged Cell Proliferation Probe, by Raman Microscopy” J. Am. Chem. Soc., 2011, 133 (16), pp 6102–6105 http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja108404p
小島あゆみ サイエンスライター