骨格筋が効率よく動ける仕組みを解明
2010年8月26日
東京大学理学系研究科物理学専攻
樋口 秀男 教授、茅 元司 助教

図2:アクチン繊維と結合して力をかけているときには8 nm程度変位し、力を出し終えて結合をはずし、次に結合するまでの間は、ほとんど変位しない。 | 拡大する
東京大学理学系研究科物理学専攻の樋口秀男教授と茅元司助教は、最近、骨格筋(横紋筋)の効率的な動きのメカニズムを見出した。
通常、工学的には動力システムは小さいほど摩擦などによるエネルギーロスが大きく、ガソリン車のエネルギー効率は15~20%程度、最近開発が進むマイクロマシンでは1%程度だが、マイクロマシンよりもはるかに小さい分子が作り出す筋肉のエネルギー効率は50%程度と驚異的に高い。「ヒトが日常活動しているときにはエネルギーの7割程度が筋肉で使われている」(樋口教授)。だからこそ、筋肉は効率よく動かすことが必要なのだが、なぜこのような高効率のエネルギー変換が可能なのかはこれまで知られていなかった。
筋肉は筋繊維の束から成る。筋繊維は直径100 μm程度の細長い多核細胞で、例えば最大の骨格筋である大腿筋では、1個の筋細胞は骨盤から膝までの長さがある。筋繊維は1 μm程度の太さの筋原繊維から構成され、筋原繊維にはタンパク質のミオシン分子が重合したミオシン繊維とアクチン分子が重合したアクチン繊維が規則正しく並んでいる。
ミオシン分子は楕円状の頭部(楕円体)と尾のようなひも状部位を持ち、筋肉が収縮するときには、ミオシン分子の楕円体がアクチン繊維に結合、そこでエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)を使って、アクチン繊維を動かす。
樋口教授らは、未解明であった、ミオシン分子の弾性と力の測定にトライした。まず、ウサギの骨格筋からミオシン分子を精製。ミオシン分子を1分子で観察するために、酵素で楕円体だけを分解して、アクチン繊維と結合できないようにしたミオシン分子も作製し、それを一定比で混ぜながら、全体の分子数を減らし、1分子だけを残す方法を採った。
続いて、ミオシン1分子をアクチン繊維に結合させ、アクチン繊維の両端にプラスチック粒子を結合し、レーザー照射によって発生するトラップ力(レーザーの焦点部分にプラスチック粒子が動こうとする力)で、アクチン繊維を左右に動かせるようにした。そして、アクチン繊維上に付けた蛍光分子の位置の移動から、ミオシン分子がどのくらいの力で伸びるかを測定した。なお、これまでの知見から、アクチン繊維はミオシン繊維に比べて10倍程度硬く、あまり伸びないことがわかっているが、今回はアクチン繊維の弾性も考慮して、正確にミオシンの弾性を測定している。
まずATPがない環境で計測すると、ミオシン1分子は約10 pN(ピコニュートン、1 pNは1兆分の1 N、1 kgの物体にかかる重力が9.8 N)の力で引っ張られると数 nm伸び、一方、ミオシン分子が押し縮められたときにはほとんど受動的な力を出さないことがわかった。ミオシン分子は力を出すときにはひも状部が伸びきって硬化し、力を出し切るとゴムのようにしなやかにたるむため、力を出すとき以外にはほとんどエネルギーを使わないことが推測された(図1)。
さらに、ATPを入れると、ミオシン分子はアクチン繊維に結合して、アクチン繊維を約8 nm動かした後、結合がはずれ、次の結合部位を探すというプロセスを繰り返していることが明らかになった(図2)。「これまで、ミオシン分子はバネ状で、押し縮められるときにもエネルギーが必要と考えられていたが、そうではなく、伸びるときと縮まるときで性質を使い分けている」と樋口教授。
このような研究を支えているのは、樋口教授らが開発した1分子イメージングの高い技術だ。今回の研究のために開発した装置は0.3 nmの精度で動かすことができる世界最高精度のもの。ほかにも、CCDカメラ2台を組み合わせ、細胞内の単一分子挙動をコンピューター処理で三次元化し、1 nm精度で立体的な運動を追跡する装置などを製作。これまでに、がん細胞に発現しているPAR1(protease-activated receptor 1)を蛍光標識し、マウスの皮膚に移植した乳がん細胞が形態を変えながら、がん組織中の新生血管の中を流れ、転移していく様子を観察することに成功している。また、新規タンパク質の精製も手がけており、PAR1の抗体を開発、抗体医薬への研究につなげた。
「生物学には定量的なデータが不足している。分子や細胞、個体のダイナミックな生命現象を高精度で定量化して、規則や法則を発見していきたい」と樋口教授。今後は、ミオシン分子同様、モータータンパク質として働くキネシン分子など細胞内輸送を担う、すべての分子を同時に見るイメージング、がん細胞の転移先での振る舞いの研究などに挑む予定だ。
小島あゆみ サイエンスライター