ピロリ菌ががん化を引き起こす、詳細な分子メカニズムを解明!
2007年7月12日
北海道大学 遺伝子病制御研究所 分子腫瘍分野
畠山 昌則 教授

胃潰瘍や胃がんの発症に関与することが明確となり、にわかに注目されているピロリ菌(Helicobacter pylori)。世界人口の半数以上が感染しているとされ、WHOがピロリ菌をたばこと同じレベルの発がん因子に指定しているが、胃がんに結びつく詳細なメカニズムはわかっていなかった。北海道大学遺伝子病制御研究所分子腫瘍分野の畠山昌則教授は、ピロリ菌の「ある遺伝子」が鍵となって胃の粘膜が破壊され、胃がんなどに至ることを明らかにした(Nature 5月17日号)。
ピロリ菌は、ヒトの胃粘膜に感染する細菌(微好気性グラム陰性らせん状桿菌)である。1983年の発見以降、疫学研究によって慢性胃炎や消化性潰瘍の主な原因になることが示され、ストレスや飲酒が潰瘍を引き起こすとされていた上部消化器疾患の概念を大きく変えることになった。さらに、胃がんの発症にも密接に関与していることが示され、その分子メカニズムの解明が急がれていた。
日本は胃がんの最多発国で、発症率は欧米の2〜6倍におよぶ。がん研究を志して医師になった畠山教授は、大学院時代に白血病を、その後は細胞の増殖制御に関する研究をはじめたが、患者数の多い胃がんなどもテーマにしたいと考えていたという。「留学先のMITでは、子宮がんの原因となるパピローマウイルスなどが標的とするRbというがん抑制タンパク質の研究をしていたが、その後、胃がんとピロリ菌感染との関連が示唆されるなかで、東健先生(現 神戸大学医学部消化器内科教授)が、ピロリ菌由来のタンパク質が胃の細胞内に注入されることを突き止めたことを知った。この現象に興味をもった私は、ピロリ菌と胃がんとの関連を解明しようと考えた」と畠山教授。パピローマウイルスの感染によって引き起こされる子宮がんは「感染がん」の一種だが、胃がんも感染がんである可能性が出てきたのである。
東教授が突き止めたタンパク質はcagAと呼ばれるピロリ菌遺伝子の産物だった。当初、このCagAタンパク質は胃の上皮細胞に急性毒性を発揮すると考えられたが、後に、そうではないことがわかった。一方で、cagA遺伝子がもともとピロリ菌にあったものではなく、外界からDNAトランスポゾンなどを介して一部のピロリ菌のゲノム内に挿入されたもので、同様の配列は既知の生物DNAには全く存在しないことが明らかになった。
このような状況のなか、畠山教授らは、CagAが「ある酵素(PAR1/MARKキナーゼ)」と結合することで、胃の粘膜細胞の極性と細胞間結合装置を破壊し、正常な胃粘膜上皮の構築を破綻させることを明らかにした。さらに、PAR1との複合体形成によって二量体化されたCagAが別の酵素(Src:細胞増殖の促進に関与)による作用(チロシンリン酸化)を受けた後で、がんタンパク質として知られるタンパク質(SHP2:細胞増殖を促進する)と結合し、SHP2の活性を異常に亢進させることを突き止めた。
一連の結果からは、「CagAとPAR1の相互作用によって胃上皮細胞の極性が失われ、増殖シグナルに対してきわめて過敏になっているところに、CagAとSHP2の相互作用により制御不能に陥ったSHP2の異常な増殖シグナルが流し続けられ、結果として、がん化のプロセスが進む」とのシナリオがみえてきた。「ピロリ菌による胃がん発症へのプロセスの理解を深めたばかりでなく、多細胞生物において普遍的に保存されている細胞極性の制御機構が病原微生物の標的となり、炎症やがん化に深く関わることを示した点が高く評価されたのではないか」。そうコメントする畠山教授は、CagAと別の細胞タンパク質(NFAT)との機能的な相互作用についても研究を進めている。
日本では、6000万人がピロリ菌に感染しているとされているが、それらのピロリ菌のほぼすべてがcagA遺伝子をもっていると考えられている。ピロリ菌は抗生物質によってある程度除菌することが可能だが、畠山教授は「感染者すべての除菌は不可能であり、 このまま放置した場合、 現在の日本人感染者プールから今後20〜30年の間に200万〜300万人もの胃がん患者が出ると予想される」とし、さらに「抗生物質に耐性をもつピロリ菌の問題も深刻なので、もしCagAとPAR1の結合を阻止する化合物が開発され、それが創薬に結びつけば、胃がん予防にきわめて有効だろう」とコメントする。
「結核のように、胃がんを日本から撲滅させることを使命とし、細胞の極性破壊が固形がん全般の発症において普遍的な役割を担っているのかどうかも検証していきたい」と話す畠山教授。固形がんの発症や進展に関わる統合された理論の構築にむけて、さらなる研究の日々が続く。
西村尚子 サイエンスライター