メタボロミクスで植物の成分を解明、将来の生産につなげたい
2010年5月27日
千葉大学大学院薬学研究院 遺伝子資源応用研究室
独立行政法人理化学研究所植物科学研究センター 副センター長
メタボローム機能研究グループ グループディレクター
斉藤 和季 教授

紫=種子に主に蓄積、青=根に主に蓄積、赤=花に主に蓄積。 | 拡大する
Plant Physiology, (2010) 152: 566–578 図版提供:理化学研究所
ポストゲノムの研究分野として、"統合オミックス"という言葉をよく聞くようになった。"オミックス"とは生物の分子全体を調べる学問。ゲノミクスに加え、RNA分子全体(トランスクリプトーム)、タンパク質全体(プロテオーム)、代謝産物全体(メタボローム)の研究であるトランスクリプトミクス、プロテオミクス、メタボロミクスを含めた統合オミックスの重要性が提唱され、今、研究が急速に進んでいる。
千葉大学大学院薬学研究院 遺伝子資源応用研究室 斉藤和季教授(独立行政法人理化学研究所植物科学研究センター 副センター長、メタボローム機能研究グループ グループディレクター)は、統合オミックスやメタボロミクスの概念を日本で最も早く紹介し、研究を始めたパイオニアだ。
斉藤教授は、2000年にシロイヌナズナの全ゲノムが解明されたころ、研究対象をメタボロミクスに絞り、科学技術振興事業団(現・独立行政法人科学技術振興機構)のCREST(戦略的創造研究推進事業)に応募、植物の代謝産物を対象とした初めての研究テーマとして採択された。当時はメタボロミクスという言葉は知られておらず、「世界の2カ所くらいで研究を始めていたようだが、まだもちろん解析技術もなく、模索している状態だった」。
一方、このころには、アグロバクテリウムを感染させ、T-DNA(transfer DNA)を挿入したシロイヌナズナの変異体のライブラリが充実し、遺伝子変異と表現型を比較できるようになってきていた。また、質量分析器やマイクロアレイなどの分析技術も進歩してきた時期でもあった。
斉藤教授らは独自でトランスクリプトミクスとメタボロミクスを組み合わせた共発現解析の手法を開発する。これは、DNAマイクロアレイによる全遺伝子解析と質量分析などによる全代謝産物解析の情報の発現パターンを分類し、代謝産物に関する既知の遺伝子と同じような発現パターンになる遺伝子のグループを見つけ、そこから代謝産物のダイナミズムを予想する方法。そして、2004年、シロイヌナズナの硫黄の代謝に関する遺伝子と代謝産物のネットワークを解明、論文が"Proceedings of the National Academy of Sciences USA"に掲載された。また、翌年にはシロイヌナズナのアントシアニンに関する遺伝子と代謝ネットワークを報告、この2報は各年の植物バイオテクノロジー部門の論文引用で世界一となった。斉藤教授のもともとの研究テーマであった植物の硫黄やアントシアニンはこうして大きな成果として実った。
その後も、この手法を用い、抗がん剤の塩酸イリノテカンに使われる成分カンプトテシンを含む喜樹(キジュ)やチャボイナモリが標的のトポイソメラーゼのアミノ酸の一部を変異させて、その毒から自らを守っていることを明らかにしている。また、シロイヌナズナの時計遺伝子がミトコンドリアが司るクエン酸回路の代謝と関係していることなども報告した。
最近、これまでの研究の集大成として、シロイヌナズナの花、種子、根、茎、葉など36部位にある1500以上の二次代謝産物のデータベース"AtMetExpress development"を発表(図版)。これは、理研植物科学研究センターが開発に参加したシロイヌナズナの遺伝子発現のデータベース"AtGenExpress"と統合して、新たな遺伝子の発見にも使えることがわかっている。
斉藤教授は、これらの業績から、この4月、2010年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門)を受賞した。
メタボロミクスの現在の課題のひとつは、質量分析器が感知するシグナルのうち、代謝産物が同定できるのは2~3割で、残りは何かわからないことだ。これに対して、斉藤教授は、日本質量分析学会の公式データベースであり、ドイツやスウェーデン、アメリカなどの研究機関も加入するMassBank にデータが蓄積されていくことを期待している。
また、今は細胞をすりつぶして代謝産物の有無や量を調べており、時間的なダイナミクスや1細胞での変化を見られないため、「質量分析器やマイクロアレイの感度を上げるとともに、アイソトープで代謝産物をラベルするなどの方法も開発したい」と話している。
薬用植物など、これまでも研究してきた有用な植物の対象を広げ、食糧、環境、健康問題の解決に貢献していくのも目標だ。
斉藤教授は教育にも注力しており、薬学部の3年生に科学論を、また大学院修士課程の1年生には科学研究の評価や倫理について講義している。「科学は社会が創るもの。現場で闘っている研究者が痛い目をしながら学んだ科学社会の話は、メタボロームの話よりも有益かもしれない(笑)」。
現在は自分の研究を続けつつも、多くの研究者を束ねてプロジェクトを動かしたり、学生や若い研究者を教育したりする"コンダクター"としての役割を自認している。斉藤教授の指揮の下、近い将来、どのような研究や研究者があらわれるか、期待が大きい。
小島あゆみ サイエンスライター