若き先輩指導者
2010年4月29日
Fabio Paglieri
Naturejobs Postdoc Journal管理者
Nature 464, 1233 (21 April 2010) | doi:10.1038/nj7292-1233b
若年研究者として学生を指導するには独自の課題がある、とFabio Paglieriは言う。
私が博士課程の学生だったころ、指導教官は理想の父親像であった。私の両親と同年代だったので、きっと模範として受け入れやすかったのだろう。しかし、今では私が6人の若き同僚たちの指導に当たっている。学部の学生もいれば、博士号取得を目指している者もいる。我々の年齢差はせいぜい数歳。数十歳ではない。私自身が大学生だったころの記憶は今でも鮮明に残っているが、いったいどのような知恵を授ければいいものかと思いを巡らせている。若い研究者として指導することには、経験不足や大きな利害の衝突など、それなりの課題がある。
行動的実験は我々が研究室で行う実験の大半を占めており、グループでの取り組みが求められる。熱心な学生がテストを実施し、データを収集してくれなければ、ポスドクや教職員には研究結果を発表する時間などないはずだ。だが、今日の学生は明日の科学者だ。我々全員が責任を分担して彼らの指導に当たっている。データ収集もそのごく一部だが、アイデアの提案や実験のデザイン、結果の解釈にも、たとえそれがいかに面倒であっても、私は彼らに参加してもらわざるを得ないと思っている。
最大の課題は、独自の考えを持つ人間になるにはどうしたらいいかを彼らに教えることだろう。従順が評価され、創造力が糾弾されることが多いイタリアの教育制度の下で何年もの間過ごしてきた私の教え子の場合には特にそうだ。もし科学者たちが「知識社会」の発展を望むなら、平気で最新の誇大宣伝に乗るようなマスプロ研究者の育成をやめ、代わりに社会をどう変革すべきかを構想する責任を担った知的リーダーとしての科学者の指導を始める必要がある。必ずしも「論文など発表しない科学者は消滅する」というシナリオ通りではないが、私はそうなることを願っている。
では、自分の教え子たちにはどうアドバイスすべきなのだろう? 最初は意欲と不安を胸に我々の研究所にやって来る彼ら。うやうやしくも研究施設に足を踏み入れて、科学者としての責任を託される。私も同じ気持ちだったのを思い出す。しかし、先行き不安を抱えつつ困難を乗り越えて数年がたつと、彼らのうちほんの一握りしか(これがベストだと思うが)研究で生計を立てられる者はいなくなる。ほかの学生はと言うと、おそらく科学の指導を受けても学界の外では報われない可能性がある。私と同じ夢(常勤の研究職)を追いかけることで自分のキャリアを危険にさらしてしまい、別の就職の機会を考えるのを怠ってしまうのではないかと思っている。
それでまた、私自身の野心という別の懸念も持ち上がってくる。自分自身がまだポスドクだ。若い同僚たちの中でもきっと最も優秀な学生が自分のライバルになるはずだ。もしそうなれば、いくら自分が純粋な意思を持っていても、とても公平なアドバイスなどできる立場ではない。責任や忠誠心なども複雑に絡んでいる。虚心坦懐というのがベストな答えなのだろう。けっして未来を擬似カラーで彩ってはならない。けっして才能を軽視してはならない。けっして凡庸を推し進めてはならない。けっして自分の意図を隠してはならない。常に誠意を持って学生を評価し、彼らに自分の進路図を自分で描かせることである。運がよければ、いつか彼らも我々のことを良き父親としてではなく、少なくとも立派な兄貴として思い出してくれるだろう。
Fabio Paglieriはイタリア・ローマにあるイタリア科学技術委員会(CNR)の認知科学技術研究所の認知心理学のポスドク研究員