広告企画: 科学技術立国日本を支える 理科教育の課題とその対策
2010年3月18日
おもしろいが、勉強する意義を見いだせない理科
日本の子どもたちの“理科離れ”が話題になるが、国際的な調査を見ると、日本の子どもたちの学力はそれほど下がったとはいえない。学習の習得度を見る国際的な指標のひとつである、経済協力開発機構(OECD)の生徒の学習到達度調査( PISA: Programme forInternational Student Assessment)は、15歳の子どもを対象とする。2006年は科学的リテラシーを中心に調査が行われ、57ヵ国が参加、日本は、フィンランド、香港、カナダ、台湾、エストニアに続き、世界で第6位であった(3位のカナダと有意差はない)。
また、国際教育到達度評価学会(IEA:International Association for the Evaluation ofEducational Achievement)が小学校4年生と中学校2年生を対象に2007年に行った国際数学・理科教育動向調査( TIMSS: Trends inInternational Mathematics and Science Study)では、日本の小学生の理科の成績は36カ国中第4位(3位の香港と有意差はない)、中学生は49カ国中第3位(2位の台湾との有意差はない)であった。
PISAは義務教育で身につけた知識の実生活への応用の程度を、TIMSSは学校で学んだ知識や技能の習得度を主に調べる調査で、双方ともに日本は国際的に上位に位置する国だ。PISA調査に関わり、またそのデータを分析している、国立教育政策研究所教育課程研究センター基礎研究部の小倉康総括研究官(独立行政法人科学技術振興機構:JST 理科教育支援センター シニアアナリスト兼務)は、「1990年代の調査結果と比較して、明らかな学力低下も学力向上も見られない」と話す。
また、小倉総括研究官がPISA調査を元に“30歳時に科学技術に関する仕事をしたいと考えていて、かつPISA調査で高学力(レベル5と6)の生徒の数の人口”を計算したところ、米国が16万人と圧倒的に多く、続いて日本が5万人強、英国が4万人強となった。人材輩出の点では、人口の多い日本は世界第2位のマーケットになっているのだ。
このような結果からは、日本の理科教育は充実しており、将来の科学技術を担う人材も安泰のように見える。ただ、憂慮されるのは、日本の子どもたちが理科の学習意義を見出していないことだ。
2001年の小中学校教育課程実施状況調査と2002年の高等学校教育課程実施状況調査では、小学生と中学生は“(各教科の)勉強が好き”な割合は理科が国語、社会、算数・数学、英語と比べても最も高い一方で、小・中学生と高校生の“(各教科の)勉強は、受験などに関係なくても大切だ”という項目では最低となる(右図)。2007年のTIMSS調査でも理科学習への価値意識は世界で最低水準だった。
これについて、小倉総括研究官は、「理科が日常生活や実社会に結びついていないため、多くの子どもにとって、理科はおもしろいけれど役に立たない科目になっている。高校で受験対策のために、小中学校に比べて、観察や実験、研究的な授業が減ることも大きな問題」と指摘する。そして、科学的リテラシーを育成する理科学習の課題として、
- 日常生活や実社会の出来事が理解でき、説明できるようになる。
- 学習した事柄が日常生活や実社会での課題や疑問の解決に応用できる。
- 科学の大切さや意義を実感でき、科学を学ぶ目的が意識できる。
- 経験に基づき、主体的に追究する楽しさを実感できる。
- 科学の学習がさまざまな職業に求められる資質や能力と関係していることがわかる。
の5つを挙げる。
新学習指導要領では“実感を伴う”ための自然観察や実験の必要性を強調するが
2008年の学習指導要領の改訂では、日常生活や実社会と理科の結びつきの重要性が強調されている。
小学校の理科の目標は、“自然に親しみ、見通しをもって観察、実験などを行い、問題解決の能力と自然を愛する心情を育てるとともに、自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り、科学的な見方や考え方を養う”とし、“実感を伴う”という文言が追記された。また、中学校では、“科学的に探究する能力の基礎と態度を育てる”ことが盛り込まれている。さらに、小学校と中学校の連携強化も謳われている。改訂に伴い、「総合的な学習の時間」の授業時間が減り、理科は小学校55時間、中学校95時間が増加。小学校では3年生以降すべての学年に電気に関わる内容が入り、中学校ではイオンやDNAが加わるなど、新しい単元の追加や変更が行われた。
新学習指導要領は2011年度から完全実施され、教科書は現在検定中。2009年度と2010年度は補助教材(補足する冊子)が配布され、ほぼ前倒しで授業が行われている。では、実際の教育現場では、新学習指導要領に基づく授業ができる態勢になっているのかといえば、楽観できないというのが正直なところだろう。
2008年にJSTと国立教育政策研究所が行った小学校理科教育実態調査では、全国の公立小学校380校の935人のうち、学級担任として理科を教えている教員545人の約9割が“理科全般の内容を好き”であるが、約5割が“理科の指導が「苦手」または「やや苦手」”で、約7割は“理科の指導法についての知識・技能が「低い」または「やや低い」”と感じている。この割合は教職経験年数が10年未満ではさらに上がる。
また、約3分の2の小学校では理科の校内研修や研究会が年間一度も開かれておらず、学級担任で理科を教える教員の約7割はほかの教員の授業を見る機会もなかった。
同年の中学校理科教師実態調査では、公立中学校337校の理科教員572人のうちの約9割が“理科の授業や教材研究に力を入れて取り組みたい”と思っているが、実際に“力を入れて取り組んでいると思う”のは約3~5割であった。これらの背景には、教員が多忙、授業や教材開発へのサポートがない、観察や実験に割ける予算が少ない、教員養成課程で理科に関して学ぶ時間が少ない、などの要因がある。
お茶の水女子大学サイエンス&エデュケーションセンターの千葉和義センター長は「理科は体育や音楽、図画工作と同様、“実技”だから、練習しないとうまくならないし、レベルも保てない。しかし、教員になる前、なってからの“実技”の練習の機会は多くない」と話す。また、前・全国小学校理科研究協議会会長である、東京都北区立滝野川小学校の林四郎校長は、「苦手意識の強い教員はどうしても実験などに消極的で、研修にも逃げ腰になる傾向がある」という。
先の調査では、小学校の設備備品費は平均で8.7万円で、小学3~6年生の児童1人あたりに換算すると391円、中学校では15.4万円で、生徒1人あたり453円であった。新学習指導要領に合わせて整備が期待される放射温度計やコンデンサー、月球儀、手回し発電機などは7割弱の小学校に備え付けられていない。中学校でも放射線測定器や放射能鉱物標本、電気泳動装置、DNAモデルなどが8~9割弱の学校にない。設備備品費は都道府県が半額を負担することで、国からの補助が受けられる仕組みになっており、都道府県の財政疲弊で捻出できない場合には国からの地方交付税の補助も受けられない。2006年度の決算ベースで、東京、神奈川、新潟、大阪、福岡、鹿児島などで教材費を8割以上受けているが、全国平均では65.5%で、「地域格差が拡大している」と小倉総括研究官。科学技術立国を謳う日本が、限られた財源の中で、どれだけ理科教育に“人・モノ・金・時間”を割けるかが問われている。
理科支援員配置事業は廃止へ
最近話題となったのが、2009年11月の政府の事業仕分けで、理科支援員配置事業が“廃止”の判定を受けたこと。その後、2010年度においては予算額を減らし、3年程度かけて事業を廃止する方向に決まった。
理科支援員配置事業は、理科の難易度が上がるとされる小学校5、6年生の理科の授業をサポートするシステムで、教育委員会に雇用された理科支援員が主に実験の準備や片づけ、授業中のサポートを行う。林校長は「理科支援員がいれば、実験の最中に出る、子どもたちの小さな疑問や要求にも答えやすいし、実験の安全への目配りも利く」と廃止を惜しむ。
理科支援員の充実ではなく、理科の専科の教員を配置すべきという意見もあるが、林校長は、「小学校のとくに中学年の理科はそれほど難しくなく、担任のフットワークのよい指導が必要。例えば、他教科の授業中にチョウが飛んできたとき、担任であれば、理科の授業の内容を思い出させてチョウの話をするというようにフレキシブルに対応できるが、専任教員だとそうはいかない」と反対する。また、すべての小学校に専任教員が配置されるのでなければ、配置された小学校から配置されない小学校への異動で急に理科を教える必要に迫られるケースも想像される。「最も危惧するのは、ほとんどの教員が理科のことを直接考えなくなってしまうこと」(林校長)。
今、期待されているのが、2009年度から始まったJSTの理数系教員(コア・サイエンス・ティーチャー:CST)養成拠点構築事業だ。優れた理数系教科指導法を修得し、各地域で理数教育の研修会などで中心的な役割を果たせる小中学校の教員の育成を目指す。2009年度現在、お茶の水女子大学、横浜国立大学、福井大学、岐阜大学、滋賀大学、長崎大学、鹿児島大学とそれぞれの地域の教育委員会の7地域が採択された。2010年度は5月まで新規公募中だ。
文科省とJSTでは、他にも、中学校・高校において第一線の研究者を講師とする講座型の学習活動を支援するサイエンス・パートナーシップ・プログラム(SPP)、高校生が研究者や技術者に指導を受けるサイエンスキャンプ、国際科学技術コンテストへの支援などで、理科教育の充実を図っている。
2002年度から始まったスーパーサイエンスハイスクール(SSH)は、SSHに指定された高校が大学や研究機関と連携してカリキュラムを開発するなど、先進的な理数教育を行うもので、これに対して5年間、経費支援が行われる。また、年に一度全SSH校が集まり生徒研究発表会が開催される。文部科学省科学技術・学術政策局基盤政策課の千々岩良英専門官によると、SSH校からは理系学部への進学割合が上昇しており、修士課程以上への進学希望も多くなっている。
2010年度には、指定校が106校から125校程度に増えるほか、“コアSSH”が始まる予定。「コアSSHの取り組みによって、地域の他の高校との連携や、SSH校同士の連携を進め、SSHの効果を広く普及してもらうのが狙い」(千々岩専門官)。
未来の科学者養成講座は卓越した意欲や能力を持つ子どもたちに大学や高等専門学校が学習環境を継続的に提供する取り組みへの支援で、2008年から開始。2008年度は5大学、2009年度には9大学が採択された。
これらの事業について、「今後は、修了者の進路のデータなども追っていきたい」と千々岩専門官は話している。
2009年12月に、科学技術・学術審議会基本計画特別委員会が出した第4期科学技術基本計画に向けての中間報告でも、研修や最先端科学に触れる機会の充実、コア・サイエンス・ティーチャーの養成、教育委員会と大学の連携による専科の活用や理工系学部出身者の教員の活用、大学院生やポスドクが学校教育を経験できる機会を増やすなどで初等中等教育に携わる教員の指導力の向上を図ることが挙げられている。また、大学や産業界などとの連携、外部人材の活用、観察や実験の設備の整備・充実によって、理数好きな子どもの裾野を拡大するとともに、才能を伸ばす取り組みとして、サイエンスキャンプや科学コンテスト、科学部の活動などへの支援、その成果を大学などの入試で評価することも重要としている。
大学や企業による取り組みも始まっている
お茶の水女子大学サイエンス&エデュケーションセンターでは、理科の授業に関する教材を小学校に持ち込む“理科実験支援事業”で成果を上げている。当初、新教育システム開発プログラムで始まったこの事業は、プログラム終了後、東京都北区が予算をつけ、全小学校で実施している。センターが大学から講師を派遣し、クラス担任との打ち合わせを経て、前日に教材を送付し、担任と予備実験(研修)を行う。当日の授業では大学講師は黒子に徹して担任をサポートする。
15名の大学院生が2002年に設立した株式会社リバネスでは、実験教室やサイエンスショー、研究体験講座などを開催している。自治体や学校、企業と組んだ実験教室は年間100回以上。「元々は自分たちの研究者仲間を育てたいという気持ちから始めた」と丸幸弘社長は話す。最初は学習教室の一室で1回1人500円の教材費を集めてスタート、神奈川県内の私立高校でバイオ分野の授業をサポートし始めたのが広がった。当初バイオ分野に絞っていたのは、丸社長自身の専門であったことに加え、実験器具がシンプルで、実験が比較的安全であるから。「最先端の科学の情報を高校生と年齢が近い大学院生が持ってきてくれるというのが、高校生のモチベーションを上げ、高校生のキャリア教育にもつながって、先生方が評価してくれた」。2003年には、千葉県白井市立大山口小学校で半年間“生命(いのち)に学ぶ”をテーマに、リレー形式で授業をした。「担当する教員数人と学校内にバイオ部会を作り、毎回話し合った」。その後、教員にもアンケートを採り、成果を論文発表している。2006年からは、企業の社会貢献を教育に活かす“教育応援プロジェクト”を立ち上げ、参画する企業を集めて、教育プログラムの活性化を行う仕組みをつくっている。「企業と一緒に開発したものは最終的に企業が自立的に実施できる形を構築する」と丸社長。
センターとリバネスに共通するのは、“授業をする主役は教員で、自分たちはサポートする側”という姿勢。「教室に先生は2人要らない。教えるプロである教員をリスペクトする」(千葉センター長)、「我々は最先端科学を学校に橋渡しする役割。教員とは競合しない」(丸社長)。大学や研究機関がアウトリーチ活動で行っている単発の出前授業では、学校側にありがたさとともに、とまどいもあるようだ。「教員は一度だけ来る外部の講師に気を遣いつつ、学習指導要領との整合性や子どもたちへのフォローを気にされているように感じる」と千葉センター長。丸社長も「自己満足のためや、大学からの依頼でイヤイヤやっている授業では、かえって理科離れを促進してしまう」という。授業の継続性を意識すれば、出前授業とはいえ、やはり丁寧な打ち合わせや学習指導要領への理解は欠かせない。リバネスでも小中学校や高校の学習指導要領の内容を把握し、理科以外の科目にも対応できるようにしており、授業後に教員の意見を聞き、授業で話すための研修も行っている。
これまで主に学校の理科教育の現状と課題について述べてきたが、博物館や科学館、動物園・植物園、図書館などの社会資源の整備や活用、親を含めた大人の科学的リテラシーの向上なども理科教育の充実には欠かせない。
小倉総括研究官は、「かつては学校教育で理科の基礎学力を育て、後は高等教育で専門家となるための教育を行うといった役割分担だったが、今は地域社会や専門家・専門機関も早くから理科教育に関わり、大人の生涯学習も含めて、社会全体で理科教育を行うという考え方になっている」と話す。
多くの研究者には、学校の授業や先生に思い出があるのではないだろうか。博物館や科学館、動物園・植物園に通い詰めた人もいるだろう。
国民の科学的リテラシーの向上は研究者の研究環境を整えることにつながり、才能を伸ばすことは研究者アカデミーを強化し、日本や世界の科学技術を発展させる。いうまでもなく、理科教育はその要だ。職場や家庭の周囲の学校でどんな理科教育が行われているか、また研究者として何か教育に貢献できないか、関心を広げてみてはどうだろうか。
小島あゆみ サイエンスライター