超オタクから洗練された科学者へ
2010年1月15日
Peter Fiske
PAX Water Technologies社 最高技術責任者
Nature 463, 125 (06 January 2010) | doi:10.1038/nj7277-125a
多くの定型概念は取り払うべきだが、中には若年科学者のためになるものもある、とPeter Fiskeは主張。

昨年11月、バラク・オバマ大統領は記者会見で新たな全米科学博覧会の開催を発表し、こう述べた。「科学者やエンジニアは、人々の手本として、スポーツ選手や芸能人と肩を並べるべきだ。ここホワイトハウスでは、われわれが模範として先頭を歩んでいく。若者たちに科学の素晴らしさを示さなくてはならないからね。」 今後は科学者やエンジニアの社会的地位を向上させ、ポップ・カルチャーの憧れのスターと同等に扱われるべきだという考えにはワクワクさせられる。もちろん、社会が実際に科学者やエンジニアをどう見ているかは、テレビをつけるか、映画を何本か観るだけですぐに分かる。主力のメディアは科学者を迫力ある極悪人として描くことがあるが、名前の後ろに付く「博士」という肩書きからは、青白い顔をして社会に適応できない者(恐ろしいというよりもかわいそう)というイメージを連想しがちである。Christopher Fraylingはその著書『Mad, Bad and Dangerous? The Scientist and the Cinema』(Reaktion Books、2005年)で、50年以上に及ぶ意識調査から、「科学者」に対する文化的な定型概念はほぼ一貫している(しかも否定的である)ことが分かっている、と述べている。
ある程度の社会的不名誉を甘んじて受け入れたり、名誉のしるしとして不敵な超オタクと呼ばれるのを容認したりするのは、科学者やエンジニアにとっては容易なこと。Garth Sundem著『The Geeks' Guide to World Domination: Be Afraid, Beautiful People』(Three Rivers Press、2009年)が売り上げを伸ばしているのも、そういう発想が広く支持されているからだろう。しかし、一部の人々が科学の学位で連想する妙なイメージは、デートの可能性にだけ影響するわけではない。つまり、科学者やエンジニアに対する一般の認識が、こういう職業に就いている人の能力、最終的には科学者やエンジニアが社会にもたらす価値を左右するのである。それによって科学者やエンジニアの職業の選択枝の幅も違ってくるのは間違いない。
おそらく「科学者」や「博士」に対する文化的な定型概念を取り払ってしまえば、科学者は定型概念が自分たちにどう不利に働いているのか(また、実際にはいかに自分たちに有利に働くのか)を理解できるようになるだろう。これは前進を望む若年科学者にとって、特に科学職以外の人々との交流が多い非伝統的なキャリアへの道を歩む人にとっては有益だ。
Peter Fiskeは『Put Your Science to WORK』の著者