神経芽腫のメカニズムを研究し、グリッド技術で抗がん剤を探索中
2010年1月14日
千葉県がんセンター
中川原 章 センター長

世界中の職場や家庭のコンピューターの休眠時間を利用して、神経芽腫の新薬候補を見つける・・・・・。そんな静かで壮大な研究プロジェクトが進行している。IBM社が2004年に発表したWorld Community Grid(WCG)のひとつ、「ヘルプ ファイト!小児がんプロジェクト」だ。2010年1月13日現在、世界中で約50万人、約145万台のコンピューターがWCGに登録しており、9つの研究プロジェクトが採択されている。
「ヘルプ ファイト!小児がんプロジェクト」では、約300万の低分子化合物について、予後の悪い神経芽腫と関係する遺伝子産物TrkB、ALK、ShcCと結合するかどうかを調べている。神経芽腫は、小児がんの約1割を占め、副腎髄質や交感神経節にある未分化の神経前駆細胞ががん化する。1歳未満で発症すると高頻度に自然退縮し、1歳以後に発症すると急速に悪化、転移するのが特徴だ。一時的に効果が出る抗がん剤もあるが、耐性化して効かなくなることも多く、また、もともと患者数が少ないこと、自然に治る子どももいることから、抗がん剤の開発が進まない。
プロジェクトリーダーを務める、千葉県がんセンターの中川原章センター長は、長年、神経芽腫を研究してきた第一人者。中学1年生になったばかりの時に父親を胃がんで亡くし、「がんと闘うには、がんを見ながら治すことが大事だと考え」、外科医を志す。九州大学医学部在学中に、臨床講義で、保育器に入った、神経芽腫でお腹がパンパンに膨れた赤ちゃんが自然に治ると聞き、驚いた。「神経芽腫が自然退縮するメカニズムががんの治療につながるかもしれない」と神経芽腫をテーマに絞り、入局した同大外科で症例を集め始める。
1980年代、神経芽腫になった子どもでは、がん遺伝子の一種であるN-myc 遺伝子が増幅していると報告された。そこで、自らの持つ11症例を調べてもらうと、死亡例ではすべてN-myc 遺伝子が増幅していた。以来、遺伝子が神経芽腫の悪化の鍵を握るとして、遺伝子研究に熱を入れる。
そして、1990年、43歳で臨床医を辞めて米国ワシントン大学に留学。自然退縮した症例では、神経成長因子(NGF)と結びつく細胞膜の受容体のTrkA , p75 遺伝子が高発現していることを見出した。「NGFは交感神経細胞の分化と生存に必要で、NGFが欠乏するとプログラムされた細胞死(アポトーシス)が起こる。自然退縮する神経芽腫にはNGFの欠乏によるアポトーシスのメカニズムがそのまま起こっていた」。神経芽腫の予後はNGFの生存シグナルに依存していたというわけだ。
その後、フィラデルフィアの小児病院に移り、神経芽腫の自然退縮を世界で初めて報告したAudrey E. Evans医師らと研究を続け、1995年に帰国。これまでに神経芽腫に関わるがん遺伝子LMO3 、がん抑制遺伝子p73 、K1F1B-β 、アポトーシスを誘導する受容体遺伝子UNC5D 、悪性リンパ腫や肺がんなどにも関係するがん遺伝子ALK などを次々と発見している(図)。
また、2005年にはこれまで報告してきた遺伝子を中心に、それらの発現や増幅を調べるチップを開発、神経芽腫の予後を90%の確率で診断できるようにした。千葉県がんセンターは国内の神経芽腫のほとんどの症例を集め、遺伝子診断を行う拠点となっている。
中川原センター長は、2002年から2006年まで国際神経芽腫学会の理事長を務め、2008年に幕張メッセで開催された第13回国際神経芽腫学会を会長として主催した。冒頭のプロジェクトに出会ったのは、アジア初の国際学会の開催に向け、2007年に寄付集めにIBM社を訪ねたのがきっかけ。寄付はもらえなかったものの、このプログラムを紹介され、応募に通った。プロジェクトは2009年3月にスタート、昨年末にTrkB 遺伝子の最初の標的分子の解析を終え、ShcC 遺伝子の標的分子の解析が始まった。プロジェクトの終了は2011年を予定。中川原センター長らの研究成果とIT、一般の人たちの善意の融合が神経芽腫の新薬開発につながることが期待される。
小児がんの治癒率は、先進国では7割以上まで上がっている。「ただ、アジアをはじめとして、発展途上国ではまだ診断もされずに亡くなる子どもも多い。発症や悪性化のメカニズムを探り、新薬開発を続けるとともに、診断技術や世界的な医療のネットワーキングにも尽力したい」と中川原センター長は抱負を語る。
小島あゆみ サイエンスライター