数理物理学で人や物の流れの“渋滞”を表現し、改善する
2009年11月26日
東京大学先端科学技術研究センター 数理創発システム分野
西成 活裕 教授

写真提供:JAF Mate
さまざまな現象を数理物理学で切り取り、解説する『渋滞学』『無駄学』(2006年、2008年刊、ともに新潮選書)は、物理学の本としては異例の売れ行きを誇り、版を重ねる話題の書だ。著者の東京大学先端科学技術研究センター数理創発システム分野の西成活裕教授は、東大大学院航空宇宙工学専攻で流体力学を研究、教室の助手となったころから、「確立された学問である流体力学に閉塞感を持ち始め、自分の学問を社会に役立てたいともがいていた」と話す。
1995年ごろ、非対称単純排除過程(ASEP:asymmetric simple exclusion process)の数式について考えていたとき、「これで"渋滞"を解けるかもしれない」と思いついた。ASEPは"玉が1つ入る箱をいくつか並べ、前の箱にある玉が前に動けば、空いた箱に後ろの玉が移れる"という単純なルールで動くモデル。玉を適当に入れた場合、"渋滞"を繰り返しながらも、玉は全体に前に動いていく。「当時は渋滞が交通工学の重要な研究テーマであることも知らなかった。"渋滞ノート"を作って、インターネット、タンパク質の移動、本の売れ残り、恋愛、人事などさまざまなテーマを書き込み、真面目に研究しようと決めた」。
そして、1998年に"流体と粒子=連続と離散"の2つの概念を合わせ、乱流現象のモデルであるBurgers 方程式に"前が空いてれば動く" ASEPのモデルを組み合わせた数式を発表し、渋滞の原理を解説した。これは、車を"意思を持つ自己駆動粒子"と捉え、道路環境や運転者の心理などの相互作用としてあらわれる交通流の不安定性を数学や物理学の視点から解くものだった。この論文を契機に同様の研究を始めていたドイツのグループとつながり、研究が大きく発展する。
その後、「前の車がブレーキを踏んだときも40 m以上空いていれば強くブレーキを踏む必要はない。渋滞の不安定性が渋滞の原因であれば、車間距離を40 mにすれば解消する」という西成教授の主張が警察関係者の目に留まり、社会実験が実現する。2009年3月15日、警察庁と日本自動車連盟(JAF)の協力のもとに、中央自動車道の相模湖インターチェンジから4台の車が時速70 kmで車間距離を40 mを保って走り、渋滞の発生地として有名な小仏トンネル(東京都八王子市と神奈川県相模原市相模湖町の都県境)の渋滞を実際に解消した。「定点観測をすると、渋滞で時速80 kmから50 kmまで落ちていたが、その後、我々のチームが車間距離をあけて走ったら、後ろの車の速度は85 kmまで回復し、渋滞がなくなって、全体の通過時間は速くなった」。
また、6月には自動車安全運転センターの安全運転中央研修所(茨城県ひたちなか市)で渋滞吸収運転の実験を行い、渋滞にはまらないように手前でスピードを落として車間距離を保っている車が渋滞を解消し、その車自体も時間と燃費の両面で節約の恩恵を受けることを証明した。
高速道路では車がスピードを出して前に詰めると渋滞が発生し、それがどんどん成長する。「渋滞は水が氷になって水分子が動けなくなるのと同じ相転移で、相転移が起こる臨界に達しないように車間距離を開けるということ。“急がば回れ”で、時速と車間距離を保つことでコストゼロで渋滞は発生せず、渋滞の手前からスピードを落とすことで渋滞を解ける」。この結果は、今後、運転免許の取得や更新の際の講習に使われる可能性があるという。
渋滞を決して起こさないアリの行列も長年の研究テーマだ。また、50人程度をホールに集めて、避難させるなどの実験も定期的に行っている。さらに、アルツハイマー病のアミロイド・タンパクの蓄積の解消、細胞内の分子モータータンパク質の局在化など医学部との共同研究も進む。
西成教授の“渋滞”や“無駄”の考え方や対処法は評判を呼び、製造業での製造ラインや在庫の調整、空港での人や物の流れなどについて、多くの企業や団体とのコラボレーションが始まっている。2009年6月からは東大の無駄取りも始まった。「総長印の必要な稟議書など書類の回転スピード、パソコンをつけている時間など事務の無駄を洗い出して、改善していく」。
「万物は流れる。ということは、全部渋滞する可能性がある。そう考えると何でもテーマになって楽しい。小さな動きの相互作用が大きな変化をもたらす "創発"で、システムの渋滞や無駄を解消していきたい」。軸足を物理学に固定し、さまざまな現象に切り込んでいく西成教授。理学と工学や医学、理系と文系の架け橋となる研究の今後が期待される。
小島あゆみ サイエンスライター