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がんの発生・増殖・転移を探る~がんの正体はどこまでわかったか~

2009年9月24日

がん研究のトピックとなっている、がん幹細胞研究

がん研究は、1990年代に盛んになった、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の研究に続き、現在はがん幹細胞とそれを保つニッチ(微小環境)、さらにはがんに特徴的な低酸素状態や栄養飢餓状態への適応といった、主にがん細胞と周囲の環境との相互作用にも焦点が当てられるようになっている。

“がん組織にはがん幹細胞がある”という仮説は1960年代からあり、それが初めて証明されたのは1997年のこと。カナダ・トロント大学付属トロント総合研究所のJohn E. Dick博士が、ヒトの正常の骨髄細胞と同様、幹細胞に大量に出現する糖タンパクCD34が陽性であり、免疫不全マウスに移植すると急性骨髄性白血病を起こす細胞を見つけたのが最初だ。その後、大腸がん、乳がん、脳腫瘍などで、同じく免疫不全マウスに移植することでがんを作る“ がん幹細胞” が発見されている(図1)。

がん幹細胞仮説について、慶應義塾大学医学部教授で同大総合医科学研究センター・センター長の須田年生教授(発生・分化生物学)は、「これまで研究されてきた正常な幹細胞のふるまいを考えると、“がん幹細胞”があれば、がんの発生や増殖、転移といったプロセスが説明しやすい」と話す。

幹細胞でも最も研究が進んでいる造血幹細胞は細胞周期が長く、とくに分化前のG0期にニッチで長期間過ごした後、前駆細胞や成熟細胞に変化していく。一方、外科手術で取りきったがんが10年後15年後に再発することはよくあり、これはがん幹細胞がG0期で長く過ごした後に分化・増殖すると考えれば説明しやすい。

また、抗がん剤は種類にもよるが、がん細胞の①DNAが複製され、染色体が2倍に増えるS期、②染色体や細胞質が分裂するM期、に効くことがわかっており、がんが抗がん剤で完治しないのはG0期でがん幹細胞が残っているからではないかと推測されている。

がん幹細胞はその発見以降、がん治療のターゲットとして浮上した。現在、①G0期のがん幹細胞を薬などで眠りから起こし、細胞周期を回して、S期やM期になったところで抗がん剤で叩く、②G0期のままでずっとおいておく、という2つの戦略が考えられている。

実際に、①の戦略として、慢性骨髄性白血病では効果の高い分子標的薬イマチニブを使う前に、G0期の細胞を起こすインターフェロンや亜ヒ酸を使えばさらに効果が上がるという基礎研究も出ている。ただ、「このように細胞周期を回す方法では、がんがかえって増殖・転移する可能性が考えられる。また、がんでは遺伝子変異が起こっており、細胞周期を繰り返すうちに別の遺伝子変異を引き起こす危惧もある。抗がん剤の量や組み合わせを洗練させることが必要」と須田教授は話す。

②への戦略としては、がん幹細胞そのものよりは、がんに多い新生血管を抑え、低酸素状態を保つなどニッチへのアプローチが考えられている。

須田教授らの研究グループは、最近、マウスの骨肉腫において、単球がマクロファージになるために働くサイトカイン、マクロファージコロニー刺激因子(macrophage colonystimulatingfactor : M-CSF)の受容体を抑制すると単球がマクロファージにならず、新生血管の周りに集まるマクロファージが減るために、血管がもろくなり、腫瘍が小さくなることを報告している(*1)。また、白血病抑制因子(leukemia inhibitory factor : LIF)が血管内皮細胞増殖因子(vascular endothelial growthfactor : VEGF)による微小血管の集積を制御することも明らかにした。このようなサイトカインの利用による、ニッチへのアプローチの研究は今、進みつつある。

もうひとつ、がん幹細胞研究において、ホットな話題となっているのは、がんの転移のメカニズムだ。現在のところ、がん幹細胞がニッチから遊離して、がんの前駆細胞になっていく過程で血液中を流れ、育ちやすい環境を探して、そこに居着き、転移するのではないかと推測されている。乳がんや前立腺がんは骨に転移しやすいが、「骨に特徴的な骨芽細胞と破骨細胞がニッチとなる可能性がある。治療へのアプローチも含めて、転移先のニッチの研究はこれからの課題」と須田教授は語る。

消化器がんのがん幹細胞の遺伝子操作によるリプログラミングや免疫療法を研究

大阪大学医学系研究科の森正樹教授(消化器外科学)は、九州大学在職中の2006年に世界で初めて肝臓がんなど消化器がんの幹細胞の存在を報告した(*2)。手術で摘出されたヒトのがん組織から、タンパクの染色による違いによって、がん幹細胞の候補を選び出し、その細胞が抗がん剤への強い耐性を持つこと、免疫不全マウスに移植すると短期間に大きな腫瘍組織を作ることを実証、また、遺伝子の違いから、自己複製能とともに別のがん細胞への分化能を持つことも明らかにした。

「今のところ、がん幹細胞は正常な幹細胞が発がん作用を受けて変化すると考えられている。大腸では、正常粘膜の表面の凹凸の底の部分(陰窩、クリプト)にある幹細胞が発がん作用を受けると、がん幹細胞となるようだ」と森教授。

また、多くのがん幹細胞では、幹細胞に特徴的な細胞表面の糖タンパクが有益なマーカーとなることが知られており、森教授らは大腸がん幹細胞の候補となる細胞ではCD133とCD44がともに陽性である細胞が最も腫瘍形成能が高いことを報告している。現在のところ、がん幹細胞のみが持つマーカーは発見されておらず、「正常な幹細胞とのマーカーの比の違いによって、がん幹細胞を特定することが現実的」と森教授は話している。

2008年には、がん幹細胞が多く含まれる腫瘍組織を培養し、超音波で破砕したうえで、免疫細胞の一種である樹状細胞を加え、樹状細胞にがん幹細胞を提示した一種のがんワクチンを作成、それを腫瘍を持つマウスに投与して生存期間が延びることを確認した。また、がん幹細胞を遺伝子操作によってリプログラミングして、分化誘導する、あるいは休眠させる方法も研究中だ(*3)。

がん幹細胞研究の今後の課題として、森教授は「がん幹細胞は数が少ないため、集めるのが容易ではない。フローサイトメトリー(fluorescence activated cell sorting : FACS)の解析精度が上がることを期待したい」と話す。

また、須田教授は「がん幹細胞の存在を示すためには免疫不全マウス以外のモデルも必要。免疫不全マウスにがん細胞を移植したときにがん組織ができるというだけでは、がん細胞の増殖能をみているだけで、がん幹細胞の細胞周期の遅さやニッチ依存性を十分に評価していない」と指摘している。

図1:がん幹細胞は自己複製能とともに、がん細胞を作る能力を持つ
*は自己複製能を持つ幹細胞。下に行くほど(色が青くなるほど)、多分化能は失われる。 | 拡大する

提供:大阪大学 森正樹教授

新生血管の漏れやすさを利用する治療のアプローチ

がんに特徴的な、もろくて漏出性の高い新生血管や、不完全なリンパ管は、がんの増殖や転移に関わる。血管やリンパ管の新生や機能の維持には、VEGF、血管の安定化に関わるTie2-アンジオポエチン系、血管内皮の細胞間制御を行うNotchシグナル、血管平滑筋細胞をコントロールする血小板由来成長因子(platelet-derived growth factor : PDGF)のほか、線維芽細胞増殖因子(fibroblast growthfactor : FGF)、血管内皮細胞の増殖を抑え、かつ血管壁細胞の分化を促進させるTGF-βなどのシグナルが知られており、がん治療のターゲットとして研究が進んでいる。すでにVEGFやそのレセプターVEGFRに対する阻害薬は、この数年の間に大腸がん、肺腺がん、乳がん、腎臓がん、肝臓がんなどで、抗がん剤として使われ始めた。

東京大学大学院医学系研究科の狩野光伸講師(分子病理学)は、2005年にVEGFとFGFを混ぜたマトリゲルをマウスに移植すると、誘導される新生血管の漏出性が減少すること、その機構としてVEGF-Aが内皮由来PDGF-Bを、FGF-2が壁細胞のPDGFβレセプターを増やしてPDGF-Bリガンドに対する感受性を高めることを報告し、これらのシグナルの制御によって、新生血管の性質を変え、治療効果を上げられる可能性を示した。

図2:モデルとなる細胞株によって、がん組織にできる新生血管の性質は異なる(膵臓がん由来BxPC3と大腸がん由来CT26の比較)
膵臓がん由来BxPC3と大腸がん由来CT26は、ともにがん研究によく使われる細胞株。それぞれをマウスに移植し、できたがん組織をHE染色と免疫染色(PECAM1染色・緑色、SMA染色・赤)で比較した。BxPC3モデルではHE染色によって間質(濃い赤)が多く、免疫染色によって血管内皮細胞(緑)よりも、血管壁細胞を含む平滑筋細胞(赤)が多い。一方、CT26モデルでは平滑筋細胞は少ない。これらのモデルではTGF-β阻害薬やVEGF阻害薬の血管漏出性に対する効果も異なり、CT26モデルではVEGF阻害薬がナノ粒子の漏出を増加させるが、BxPC3モデルではVEGF阻害薬は効果がなく、TGF-β阻害薬でないと漏出を増強させる効果がない。 | 拡大する

M R Kano et al, Cancer Science 100(1) : 173-180 (2009) より改変

2007年には、膵臓がんやスキルス胃がんといった新生血管が少ないがんについて、ヒト由来のこれらの腫瘍の細胞をマウスに移植したモデルで、TGF-β阻害薬とナノサイズのDDS(drug delivery system)用キャリア(高分子ミセルやリポソーム)に入れた抗がん剤を投与すると血管透過性が高まり、マウスの腫瘍が縮小することを報告している(*4)。これまでに、がん組織内にできる新生血管の血管内皮細胞自体が正常細胞と異なる性質を持つこと、がん組織の中心部には血管壁細胞がない、弱い血管ができやすいことなどが報告されている。

しかし、狩野講師は、腫瘍血管の性質は、実は腫瘍モデルやその中でのシグナルの組み合わせや量による差が大きいという(図2)。最近まで医師として高齢者医療にも携わってきた狩野講師は、それに加えて「高齢者に多く発症するがんを、今のように若いマウスを用いて研究していて、ヒトのがんの現実が本当にわかるのか、という素朴な疑問を持つこともある」という。新たなモデルの開発や既存のモデルの検証は、地味ながらも、がん研究の発展に欠かせない要素といえる。

がん組織の低酸素・栄養飢餓状態の解明を進める

がん組織には血管新生が見られるものの、組織の中心部などでは低酸素状態となり、それが抗がん剤や放射線による治療を妨げていること、また、がん細胞は栄養飢餓に強いことがわかってきた。国立がんセンター東病院の江角浩安院長ががんの低酸素状態や栄養飢餓状態を研究テーマにしたのは、12~13年前、「膵臓がんは血管造影で血管がないことを診断の指標にする」と聞き、驚いたことがきっかけだった。当時は肝臓がんを筆頭として、血管新生が盛んなところをがんと診断することが教科書的な常識だったからだ。

その後、がん細胞は低酸素でグルコースも少ない環境下で、好気的なATP合成でエネルギーを作れるのかと疑問を持った。そこでがん細胞の代謝を解析するために慶應義塾大学先端生命科学研究所とともにメタボローム解析を始める。そして、がん細胞は、正常細胞が持たない、TCA回路(クエン酸回路)を逆回しにする酵素活性(コハク酸デヒドロゲナーゼによる還元)を持つことを明らかにした。「がん細胞は脂肪酸やアミノ酸を代謝しているという説もあるが、いずれも酸素があればこそ考えられる仮説。実際にはがん細胞の周囲には酸素が少ないので、解糖系の逆回しによってエネルギーを得ていると考えられる」と江角院長。2009年には慶大とともに、液体クロマトグラフィーと質量分析装置を結合したタンデムマス分析によって、大腸がんと胃がんの生きた細胞が実際に強い栄養飢餓状態におかれていることも証明した。

また、タモキシフェンやシスプラチンといった一般的な抗がん剤は低酸素状態では効果が1割ほどまで落ちること、グルコース濃度が10分の1程度になった栄養飢餓状態では効かないことも報告している。

栄養飢餓状態はがん細胞のアポトーシスを抑制することがわかっており、江角院長はそれも抗がん剤の効果を落とす一因と考えている。「AMPキナーゼ(AMP-activated proteinkinase)を介して、細胞にアポトーシスを起こさせるシグナル伝達系のカスパーゼ(caspase)カスケードを抑制することが大きな理由ではないか。また、栄養飢餓状態になると正常細胞同様、がん細胞でも細胞回転のスピードが落ちるため、アポトーシスの引き金が引かれにくく、細胞回転の切り替わりの時期に効果を発揮する抗がん剤が効かないのかもしれない」。

がん細胞は栄養飢餓状態に対抗するために、アポトーシスしたがん細胞を取り込むと考えられている。「がん細胞は分裂後に約半分が死滅するため、死んだがん細胞のDNAやリソソームは生きているがん細胞の核酸合成(サルベージ合成)に使われる」と推測する。また、江角院長らの研究から、がん細胞はオートファジー(自食作用)によっても栄養を得ていることが明らかになってきた(*5)。江角院長は現在、ある生薬を抗がん剤と組み合わせて使う方法を研究しており、来年度までをめどに臨床試験を始める予定だ。この生薬は細胞の抗アポトーシス経路のシグナルPI3-AKTを阻害すること、先に述べたTCA回路(クエン酸回路)を逆回しにする酵素活性を落とすことがわかっている。

がんの血管新生や低酸素・栄養飢餓状態の研究にあたり、江角院長は「イメージングの進展に期待している」と話す。新生血管の血流は正常な血流と異なり、一定の流れを持たず、ときには血流が途絶えたり、急に流れたりすると考えられる。そのため「組織の酸素濃度をMRI(磁気共鳴画像)の拡散強調画像などで数秒単位でマッピングできるようになれば、新しい知見を得られるだろう。乳がんや皮膚がんのように表面にあるがんでは、近赤外光によるグルコース濃度や酸素濃度の測定ができるかもしれない」。

cancerの語源はギリシャ語のkarkinos(carcinus)にあるとされ、人類は医学の父ヒポクラテスの時代以前から、がんと闘ってきた。そして、今、研究が進むにつれ、がん組織には、がん幹細胞やニッチ、がん幹細胞から変化した細胞、新生血管やリンパ管などが集積し、たとえ同じヒトの同じ部位のがん組織であってもヘテロな性質を持つことがわかってきた。新たな事実が見つかるほどに、がんに対抗する難しさが明らかになり、一方で新規の治療法も開発される。今や日本人のほぼ2人にひとりががんに罹患し、3人にひとりががんで亡くなる。がん研究の今後の進展には目が離せない。

小島あゆみ サイエンスライター

【引用論文】

  1. Kubota Y et al. The Journal of experimental medicine, May 11; 206 (5):1089-102 (2009)
  2. Haraguchi N et al. Stem Cells 24:506-513 (2006)
  3. Miyoshi N et al. PNAS, in press
  4. Kano MR et al, PNAS, vol.104, no.9 3460-3465 (2007)
  5. K.Sato et al. Cancer Research, 67 9677-9684 (2007)

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