脳が迷うと脊髄で判断することを魚の逃避行動で解明!
2009年8月13日
自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター
東島 眞一 准教授

「突然、ボールが落ちてきた」、「不意にクマがあらわれた」というような時、あなたならどのような行動に出るだろうか。身を守るにはとっさに動かなくてはならないが、司令塔であるはずの脳が混乱し、矛盾した指令を出してしまうことがあるらしい。たとえば、自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンターの東島眞一准教授は、突然敵に襲われた魚では、しばしば脳が「左に逃げろ」という指令と「右に逃げろ」という相反する指令をほぼ同時に出すことを明らかにした。さらに東島准教授は、このような場合にも、脊髄が指令を制御することで、魚は左右どちらかの適切な方向に逃げることができることも突き止めた。
弱肉強食の状況におかれた生物にとって、逃避行動は生きていくために欠かせない。逃避行動は進化の過程で最適化され、脳にはそのための精巧な制御回路が構築されてきたと考えられる。なかでも魚の逃避行動は、行動学、遺伝学、脳科学などにおいて古くから研究されており、最近ではゼブラフィッシュによる研究がさかんになっている。モデル動物であるゼブラフィッシュは、すでに全ゲノムの情報が明らかになっているほか、遺伝子改変が容易、3か月の短いサイクルで世代交代する、体が透明なので蛍光タンパク質で目的の細胞を標識することが可能、といった多くの利点をもつからである。
これまでの研究により、ゼブラフィッシュを含む硬骨魚類では、後脳にある特定の細胞(マウスナー細胞)が、その軸索を脊髄にまで伸ばし、脊髄の運動ニューロンを制御して逃避運動を引き起こすことが知られていた。また、マウスナー細胞は脊髄内で「コロ細胞」という神経細胞の活動を制御していることが知られていたが、「コロ細胞」の役割は不明であった。
東島准教授は「コロ細胞も、逃避行動時に重要な役割を果たしているにちがいない」と考え、まず、コロ細胞だけが蛍光するゼブラフィッシュの系統を作りだした(東京大学との共同研究)。そのうえで、作り出した系統を使ってコロ細胞だけを殺し、魚を不意に襲う実験を行ってみた(名古屋大学との共同研究)。すると、コロ細胞を殺した魚において、体躯の骨格筋が左右ともに収縮してしまうという現象(両収縮)がしばしばみられたという。
「両収縮がおきた実験では、左右のマウスナー細胞が両方とも発火しているのではないか。そして、コロ細胞は、マウスナー細胞が両方発火した際に、遅く発火した方の指令を脊髄レベルで抑制する機能をもつのではないか。そうだとすれば、マウスナー細胞が片方にしかない場合には、両収縮がおきないはずだ」。そう考えた東島准教授は、自らの仮説を検証するために、片方のマウスナー細胞を殺した条件下でコロ細胞を殺し、同様の行動実験を行った。結果は、仮説を支持するものであった。魚は常に正常な逃避行動をみせたのである(ただし、マウスナー細胞が片方しかないので、同じ方向にのみ逃げる)。
その後、東島准教授は、カルシウムイメージングという光学的手法を用いることで、両方のマウスナー細胞が、不意の刺激に対してしばしばほぼ同時に発火すること(両発発火)を実際に確かめた。これまでに、マウスナー細胞には両発発火をおこさないようにするための抑制機構があることが知られていたが、一方の発火を抑制するための情報処理に0.002秒程度かかることがわかっていた。「つまり、今回の実験では、両発発火が、相互抑制をかけきることができない0.002秒以内の間におきたと解釈できる」と東島准教授。
今回のような両発発火は、脳に迷いが生じていることを意味するらしい。しかし実際には、マウスナー細胞から出された指令のごくわずかな時間差が感知され、早く発火した指令に従うことで、左右どちらかに逃避することができていた。東島准教授は、「脳が迷ってしまっても、脊髄レベルの判断で、誤った方の指令が抑制され、結果として正常な逃避行動ができている。脊髄内での情報処理には、私たちが想像するよりも重要な役割があるのではないか」とコメントする。
魚とほ乳類では、神経回路に大きなちがいがみられるが、発生過程には驚くほど多くの共通点があるという。東島准教授は、「ほ乳類にも、脊髄レベルの似たような抑制機構があるかもしれない。たとえば、びっくりすると体がビクっと動く驚愕反応などは、そのよい例なのではないか」とコメントし、逃避行動にかぎらず、魚の神経回路の機能と発達を調べることで、ほ乳類を含めた脊椎動物全般の共通原理を見いだしたいと意気込んでいる。
西村尚子 サイエンスライター