世界で初めて物質表面で電子スピンが屹立する現象を観測
2009年7月23日
千葉大学大学院融合科学研究科 ナノサイエンス専攻
坂本 一之 准教授

表面とほぼ平行に回転していると考えられていた電子スピンが屹立する――――。千葉大学大学院融合科学研究科の坂本一之准教授(ナノサイエンス専攻)は、金沢大学理工学研究域の小田竜樹准教授、広島大学大学院理学研究科の木村昭夫准教授らとの共同研究で、こんな新しい物理現象を発見した。
電子は、電荷とスピンという2つの性質を持つ。電荷を持つ個々の電子の移動によって電流が流れるのと同時に、ひとつひとつの電子は自転しながら磁性も持ち合わせ、電子の磁石となっている(電子スピン)。
電子を含む物質は、電子スピンが一方向を向くものは強磁性体となり、バラバラな方向を向くために磁性を打ち消し合う場合には非磁性体となる。ところが、物質の表面や界面、超薄膜などでは面直方向に電場をかけると非磁性体でも電子スピンの方向が揃う現象が見られる。結晶中では電子の持つエネルギーや波数はバンド状の領域に分かれるが(電子バンド)、この電子スピンの偏極によって縮退していた電子バンドが分裂するのだ。これはラシュバ効果と呼ばれる現象で、1960年にE.Rashbaによって提唱された。
これまでラシュバ効果は金やビスマスといった重金属で主に観察されていたが、坂本准教授は「軽めの元素と重元素を組み合わせれば、電子バンドの分裂が見られ、将来的には半導体デバイスとしても使えるかもしれない」と考えていた。そこで、シリコンの上にタリウムを吸着させた物質を作成して、研究を開始した。2007年に比較的軽い元素である銀にビスマスを吸着させた物質でもラシュバ効果が見られることが報告され、確信を強めた。
まず、光を物質に当てて、物質から飛び出す光電子の角度を変えながら、その運動エネルギーを測定する角度分解光電子分光と、同様の原理でさらにスピン状態も測定できるスピン分解光電子分光で試料を計測。スピン分解光電子分光は日本国内では広島大学放射光科学研究センターにしかなく、そこに出向いての実験だった。
すると、従来の固体物理学では観察されたことのない電子バンドの分裂があらわれた(図)。通常のラシュバ効果では波数方向の電子バンド分裂が見られるが、この不思議な電子バンド分裂ではエネルギー方向に分裂していたのだ。また、「寝て回っている」とされていた電子スピンが、この電子バンド分裂の部分のみで「(表面に垂直に)屹立して回っている」こともわかった。このことは第一原理計算による理論的手法でも証明された。
さらに詳しい研究で、この電子スピンの屹立は、タリウムを吸着させた表面の原子構造がC3 の対称性を持つ(120°回転すると重なる=3回回転すると元にもどる構造)部分で起こることも明らかになった。
「電子をコマ、スピンをコマの軸とすると、電子バンドが分裂していない、なめらかな表面を回るときには回転していても立つことができなかったのが、電子バンドが分裂した、周期的な凹凸のある表面では急に立ち上がることができるようなかんじ」と坂本准教授は説明する。また、この電子バンド分裂は特殊なものではなく、「今回使ったシリコンとタリウムの試料と同様の原子構造の対称性を持つ物質であれば、電子バンド分裂の大きさに差はあっても、エネルギー方向の電子バンド分裂と電子スピンの屹立が見られる」と話す。
このような 特異な電子スピンは他の電子スピンによる散乱を受けにくく、スピントロニクスデバイスに応用できる可能性がある。スピントロニクスでは電流を使うエレクトロニクスの1000分の1のエネルギーしか必要としないため、省エネで効率の高い高速のデバイスとして期待されている。
坂本准教授らは、今後さらにこの新発見の現象の解析を行い、さまざまな物質の表面の原子構造の対称性とこの現象の関係を明らかにしていく予定だ。また、有機分子や磁性物質との組み合わせも考えている。
2010年秋には坂本准教授の研究室に角度分解光電子分光装置とスピン分解光電子分光装置が設置され、ひとつの試料で2つの方法を用いた計測ができ、さらに精密な実験が可能になる。夢のスピントロニクスデバイスの基礎となる研究のこれからに注目したい。
小島あゆみ サイエンスライター