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ゲノムを巨視的にとらえる…GWASとエピジェネティクスの試み

2009年3月26日

ヒトゲノム計画の完了から約6年。はじき出された膨大なゲノム情報は、一塩基多型(SNPs)の探索や、特定の領域の高精度な解析を可能にし、研究者たちは自分の興味に応じたさらなる解析を進めてきた。「さぞや、遺伝子と病気の関係、たとえば罹患率、病態、薬の効き方、薬の副作用の出方などの知見が蓄積されたことだろう」と思ったら、一筋縄ではいっていないらしい。単一、あるいは数個の遺伝子の異常のみで説明のつく疾患はごくわずかで、大半が、多くの遺伝子に少しずつ影響されることで発症していたり、遺伝子は正常であるにもかかわらず、その発現を調節する後天的な制御が異常なために引き起こされる病気が少なくない、などということがわかってきたからである。

つまり、研究者たちは、これまでのような特定の狭い領域の解析に加えて、全く逆の「ゲノム全体を巨視的に見渡す必要性」にも迫られているといえる。いったいどのようにしたら、「木の枝葉」も「森全体」もみるような解析が可能なのか。そのヒントとなりうるものとして、「ゲノムワイド関連解析( Genome Wide AssociationStudy:GWAS)」と「エピジェネティクス」に焦点をあて、最新の成果、今後の展望、課題などについて紹介する。

GWASとは?

従来より、病気の原因遺伝子を探索する方法はいくつかあった。なかでも多用されてきたのは、1980年代に開発された「ポジショナル・クローニング」という手法である。染色体には「個人によって、特定の短い塩基配列の繰り返しの数が異なる」といった領域がたくさんあり、既知のものは「マイクロサテライト多型マーカー」と総称されている。ポジショナル・クローニングは、こうした多型マーカーを目印に「病気の原因遺伝子と多型マーカーが、同じ染色体上にある状態(連鎖という)」を見つけ出して、原因遺伝子の位置と配列を段階的に突き止めていくというものである。ハンチントン病やパーキンソン病などをはじめ、1000を超える疾患の原因遺伝子が、この手法によって明らかにされてきた。

ただし、冒頭で述べたような「数多くの遺伝子による疾患」の場合は、話が別だ。発症に関わる遺伝子(この場合は原因遺伝子というよりは感受性遺伝子とよぶ方がふさわしい)が単独で発症リスクを高める効果は弱く、ポジショナル・クローニングによってその位置を突き止めることが困難だからである。「従来の解析手法の弱点を補ったものが、GWASだ」。東京大学医学系研究科 人類遺伝学分野の徳永勝士教授は、そう言い切る。GWASは、ヒトの全ゲノム中に1000万種以上もあるといわれるSNPs(一塩基多型:ゲノム上で一塩基だけが他のものに置き換わっている変異のうち、特定の集団の1%以上にみられるものをいう)の代表的なものをマーカーとして使い、特定の個人が全ゲノム中にどのようなSNPsをもつのかを網羅的にあぶり出す。疾患の感受性遺伝子がいくつあるにしろ、その一部は、あぶり出されたいずれかのSNPsの近傍に必ず存在することになる。つまり、患者と健常者のSNPsの頻度に有意な差が見出されれば、それが感受性遺伝子の候補となるわけだ。

これまでに、後述する国際HAPMAP計画などによって、「400万種以上のSNPsの、世界のおもな集団での頻度」が明らかにされている。現在のGWASでは、そのうちの特定の約100万種のSNPsを解析できる手法(アレイシステム)が汎用されている。この手法では、1人分のSNPsを4~5日で検出(タイピング)することが可能で、同時に48人分を並行して解析できるという

多因子疾患のリスクや集団の特徴をあぶりだす

DNAの塩基配列の変化を伴わない遺伝子の制御機構を解析する学問が、エピジェネティクス。DNA、ヌクレオソーム、クロマチン、染色体といったさまざまな視点からのアプローチが試みられている。 | 拡大する

複数の感受性遺伝子を原因とする疾患の場合、それぞれの遺伝子がもつ発症リスクの大きさは「オッズ比」であらわされる。具体的には、感受性遺伝子をもたない人にくらべて、感受性遺伝子をもつ人のリスクが何倍になるかという数値であらわす。たとえば、先進各国で急増している「型糖尿病の場合、一つの感受性遺伝子のオッズ比は、せいぜい1.4ほどしかない。ただし、このような感受性遺伝子が日本人で10以上わかっており(ヨーロッパ系集団では20に達する)、そのほとんどをもっている場合には、オッズ比が10以上、すなわちもたない人よりも10倍も発症リスクが高まるという。

徳永教授は、ナルコレプシーという疾患の感受性遺伝子とそのリスク効果について、GWASを用いて解析を進めている。ナルコレプシーは、日中の活動時に場所や状況を選ばずがまんできない強い眠気の発作にみまわれる疾患である。その他、感情が高まると突然筋力が失われて倒れる、睡眠中に中途覚醒や睡眠麻痺(金縛り)をおこすといった症状もみられる。日本には約20万人の患者がいると推定され、その大半で髄液中の「オレキシン」という物質の濃度が著しく低下していることがわかっているが、根本的な治療法はない。これまでに、HLA(ヒト白血球抗原)遺伝子のあるタイプ(DQB1*0602)が、ナルコレプシーの感受性遺伝子であることがわかっているが、この遺伝子だけで遺伝要因の全てを説明することはできない。「私たちは、日本人のナルコレプシー患者222人と健常な日本人389人のゲノムサンプルを使って、GWASによる新たな感受性遺伝子の探索を試みた」と徳永教授。その結果、候補となるSNPが30種得られたという。次に、新たな日本人患者159人と健常者190人のゲノムサンプルを用いて、得られたSNPが本当にナルコレプシーの発症と関連しているかどうかを調べる再現性研究を行い、22番染色体上の一つのSNP(rs5770917)が、病気と関連していることを突き止めた。「このSNPをもつのは、健常者では約25%ほどだが、ナルコレプシー患者では約40%に上り、約1.8のオッズ比を示すことがわかった」と徳永教授。

さらに徳永教授は、このSNPの近傍を詳細に調べることで、この領域にCPT1BとCHKBという2つの遺伝子があり、チミン(T)がシトシン(C)に置き換わるSNPがあると、両方の遺伝子の発現量が下がることを突き止めた(*1)。このうち、CPT1Bは脂肪酸の代謝に関わる遺伝子として知られているもので、睡眠の制御にも関わるとの報告がなされているものだった。一方のCHKBは、細胞膜の構成成分や神経伝達物質の材料となるコリンの代謝に関わる酵素の遺伝子だった。徳永教授は、「こうした遺伝子の発現量の低下がなぜナルコプシーの発症リスクを高めるのかはまだわからないが、これらの遺伝子の機能を補う物質がナルコレプシーの治療薬となりうるかを検討したい」とし、さらに新たな感受性遺伝子の探索を続けている。

GWASは疾患の感受性遺伝子だけでなく、特定の民族や人種などの集団にみられる遺伝的な構造を明らかにするためにも有効である。昨年、理化学研究所ゲノム医科学研究センター 統計解析・技術開発グループの鎌谷直之グループディレクター(以下、GD)らは、7000人の日本人と他国の集団(西・北欧系ユタ州住民、ナイジェリアのヨルバ族、北京在住の中国人漢民族)の14万個のSNPデータを対象に大規模な解析を行い、これまで得られなかった日本人のゲノム上の特徴を明らかにした。たとえば、日本人は、本州の住人が属する「本土クラスター」と、多くの沖縄の住人が属する「琉球クラスター」に明確に分かれ、両集団は3番染色体にある組織適合抗原(HLA)の遺伝子にちがいがあること、髪の毛の太さに関わる遺伝子(EDAR)や耳あかのタイプと関わる遺伝子(ABCC11)の頻度にも両クラスターによる大きなちがいがみられることなどを突き止めた(*2)。

鎌谷GDは、現在、スタージェンというベンチャー企業の情報解析研究所所長も兼任しており、自らが開発した数理統計の手法を用いた解析受注サービスを進めている。

エピジェネティクス研究とは?

日本人のナルコレプシー患者222人と健常な日本人389人のゲノムサンプルを解析した結果、感受性遺伝子の候補となるSNPが30種類得られた。 | 拡大する

画像提供:徳永勝士教授

ここからは、本稿のもう一つのテーマであるエピジェネティクスについて解説しよう。エピジェネティクスは、「遺伝子の塩基配列の変異を伴うことなく、後天的に遺伝子発現を制御するさまざまなしくみ」と定義されている。つまり、遺伝子が正常であるにもかかわらず、形質に非可逆的な異常があらわれたとすれば、それはエピジェネティックな異常によって引き起こされた可能性が高い。

現在のような分子レベルのエピジェネティクスが研究されるようになったのは、1980年代以降のことである。「1980年前後に、細胞株にメチル化したDNAを導入すると、DNAがいつまでもメチル化されたままであることに気づいた研究者がおり、そこからDNAメチル化のエピジェネティクスにおける役割が急速に研究されるようになった」。国立がんセンター 発がん研究部の牛島俊和部長は、そう話す。DNAのメチル化とは、ある特定部位のシトシンにメチル基が付加することで「5-メチルシトシン」に転換されることをいう。80年代以降には、DNAメチル化が遺伝子の発現を抑制する機構として細胞内に備わっていることが明らかにされ、さらに別のエピジェネティクス機構として、DNAを束ねるヒストンというタンパク質のアセチル化に遺伝子の発現を活性化する機能があることもわかっている。

こうした「DNAのメチル化」と「ヒストンのアセチル化」に加えて、「ヒストンのメチル化」や「これらのDNAメチル化やヒストン修飾を付加したり、除去したりする酵素群」の領域も、エピジェネティクスの主な研究対象となっている。

がんなどとの深い関わり

言うまでもなく、遺伝形質の発現は「遺伝子DNA→RNAへの転写→タンパク質合成→形質発現」の順序で行われると考えるのが一般的である。どの教科書にも書かれている「セントラルドグマ」の概念だ。筋ジストロフィーや血友病などの原因遺伝子が明らかになっている疾患は、いずれもセントラルドグマの正しさを証明しているといえるが、がんもまた、さまざまな「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」の異常によって引き起こされることが明らかにされてきた。「ところが、この十数年、がんにはエピジェネティクスの異常も深く関与していることがわかってきた」と牛島部長。

牛島部長は、胃潰瘍、慢性胃炎、胃がんの原因として知られるピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ)が、胃の粘膜細胞中のがん抑制遺伝子のメチル化状態を異常にすることを実験的に示し、そのことが発がんに関与している可能性を示した。ピロリ菌は、細長いひもが数回ねじれたような形をしており、特殊な酵素を作り出すために、強い酸性の胃のなかでも生存可能になっている。もともと牛島部長は、実験動物のがんを対象に、がん遺伝子やがん抑制遺伝子の変異を探していたという。「今思えば変異はあったのだが、当時の技術ではうまくみつけることができなかった。そこで、遺伝子変異以外の原因もあるのではないかと思いついたのが、エピジェネティクス研究に向かうきっかけとなった」と当時を振り返る。共同研究者に胃がんの専門家が多かったことから、胃がんを対象に研究を進め、まずは、胃がんでは突然変異よりもメチル化異常が高頻度に認められることを明らかにした。

さらに、胃がん研究の対照として調べた「患者のがん細胞以外の胃の細胞」にもメチル化の異常が蓄積していることにも気づいた。「ピロリ菌と胃がんとの関係はよく知られていたので、今度はピロリ菌の有無とメチル化の異常に関連があるかどうかを調べたところ、有意な相関がみとめられた」。そう話す牛島部長は「ピロリ菌がなぜメチル化の異常を誘発するのかは不明だが、ピロリ菌の感染期間がある程度長くなると正常な細胞にメチル化の異常がたまり、がん化のリスクを高めているのではないか」としている。さらに現在までに、抗生物質でピロリ菌を除菌することでメチル化の異常は減るもののゼロにはならないことや、発がんには感染期間や免疫反応の個人差などの多因子が関与しているらしい、ということも明らかにしてきている(投稿準備中)。

最近では、多くの研究者がエピジェネティクスの異常と病気との関わりに注目しており、肝臓がんの原因となる肝炎ウイルスにも強いメチル化異常を引き起こす作用があることや、乳幼児の神経芽細胞腫の予後とメチル化異常が強く関係することがわかってきている。さらに、統合失調症やパーキンソン病などの神経・変性疾患、自己膠原病やアレルギーなどの免疫疾患、糖尿病などの代謝疾患といった、細胞機能が後天的、かつ非可逆的に変化する疾患の一部にもエピジェネティックな異常が関与する可能性が指摘されている。

「個の医療」の実現に向けて

GWAS領域では、いくつかの大がかりな国際プロジェクトが進められ、すでに研究成果の医療応用が検討されはじめている。前述の国際HAPMAP計画では、アフリカ、日本、中国、アメリカの各住民から採取されたDNA試料をもとに、数百万ににおよぶSNPのカタログ化やGWASが行われ、疾患との関連が示唆される遺伝子の多型が100以上も発見された。そのなかには、糖尿病、冠動脈疾患、前立腺がん、乳がん、関節リウマチなどの重要視されるべき疾患が多く含まれており、今後のさらなる検証が期待されている。また、東京大学先端科学技術研究センター ゲノムサイエンス分野の油谷浩幸教授らのグループが参画した「国際ゲノム構造変異コンソーシアム」は、HAPMAP計画で用いられた日本人を含むアジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人の計270人分のゲノムを比較することで、通常は2つ(1組)ずつあるとされる遺伝子に、重複の個人差がみられることを明らかにし、このようなコピー数のちがい(CNV:Copy Number Variation)が全ゲノムの12%にも達していることを明らかにした(*3)。現在は、CNVが病気のなりやすさや予後、薬の効き目を左右しうるかについての解析が待たれている。その他、米・英・中の国際コンソーシアムでは、世界中のさまざまな人種を含む1000人以上のゲノムを解読しようという「1000ゲノムプロジェクト」を進めている。

一方のエピジェネティクスの領域でも、明らかになりつつある分子メカニズムを応用した創薬がさかんになっている。たとえば、理化学研究所ケミカルゲノミクス研究グループの吉田 稔グループディレクター(以下、GD)は、HDACという脱アセチル化酵素が抗がん剤の優れた分子標的になると考え、さまざまな創薬候補化合物の解析を進めている。「私は、応用微生物が専門。大学院生の時に、ある微生物が作り出すトリコスタチンAという物質が抗がん活性をもつことを発見したのが、現在に至る原点になった」と吉田GD。その後、トリコスタチンAが、HDACの活性を阻害することでヒストンの脱アセチル化を阻止し、がん抑制遺伝子の活性を高めたり、アポトーシスや細胞分化を起こす作用をもつことを突き止めた(*4)。

その後、吉田GDはアステラス製薬(旧 藤沢薬品工業)との共同研究によって、同じく微生物が作り出す抗がん物質(FK228)が、トリコスタチンAとは異なる機構でHDACを阻害することを突き止めた(*5)。「FK228の方は、アメリカのがん研究所に渡り、現在はある民間会社の手でリンパ腫の治療薬として臨床試験が進められている」と吉田GD。こうした候補物質が薬として世に出るにはまだ時間がかかると思われるが、最近になって、すでに30年以上てんかんや精神疾患の治療薬として使われているバルプロ酸が、実はHDAC阻害剤であったことがわかり、抗がん作用にとどまらない薬理作用に注目が集まっている。現在の吉田GDらは、微生物が作る別のHDAC阻害剤(トラポキシン)の構造をもとに、新たなHDAC合成阻害剤の開発を進めている。加えて、ごく最近、アステラス製薬との共同研究で見いだした「世界初のスプライシング阻害剤(スプライソスタチンA)」がもつ抗がん活性とエピジェネティクスとの関係(*6)も検討しはじめている。こうした試みを実際の医療現場に結びつけるには莫大な研究予算が必要だが、これまでの例にもれず、日本の資金は潤沢とはいいがたい。例えば、アメリカのNIHは、ロードマップの一部門である「発見への新しい経路」にエピジェネティクス部門を新設し、2008年にはこの部門に総額約200億円を投じたが、日本は、経済産業省のNEDOが予備調査的な事業(昨年2月に終了)を行ったほか、日本学術振興会ががんエピジェノミクス分野として1研究あたり総額3000万円の国際共同研究プロジェクト(3年)を2件募集している程度である(発生エピジェノミクスに関する計画や、小テーマの一つとしてエピジェネティクスが取り上げられているプロジェクトを除く)。

「生活の質(QOL)」を高めるためだけでなく、高齢化や医療費の増大、医師不足の問題を解決するためにも、病気の状態をピンポイントで把握する診断や、少量でよく効き副作用の少ない投薬を可能にする「個の医療」が、早急に実現されるべきであろう。100年に一度と言われる不況が続くなか、いかにして効率よく研究を進めるか。研究者の手腕が問われている。

西村尚子 サイエンスライター

【引用論文】

  1. Miyagawa, T et al. Nature Genetics 40: 1324-1328, 2008
  2. Yamaguchi-Kabata Y et al. Am J Hum Genet. 83,445-456 (2008)
  3. Redon, R et al. Nature Vol444, p444-445, 2006
  4. Yoshida, M et al. Curr. Med. Chem. 10, 2351-2358 (2003)
  5. Furumai, R et al. Cancer Res. 62, 4916-4921 (2002)
  6. Kaida, D et al

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