神経幹細胞の休眠メカニズムを解明!
2009年1月8日
国立遺伝学研究所 細胞系譜研究室
一色 孝子 准教授

再生医療の分野では、iPS細胞やES細胞を用いた研究がさかんだが、幹細胞の研究は、発生学などの基礎分野においても重要なテーマの一つになっている。体のさまざまな部位に存在する幹細胞の最大の特徴は、多能性をもつ幹細胞を自己複製する一方で、ある特定の細胞に分化する娘細胞を作り出す「非対称分裂」にあるといえる。国立遺伝学研究所 細胞系譜研究室の一色孝子准教授は、ショウジョウバエを用いて、役目を終えた神経幹細胞が細胞の産生を停止する「休眠状態」に入るメカニズムについて研究を重ね、このほど、ある一群のタンパク質が鍵を握っていることを突き止めた。
生物の脳は、発生期に神経幹細胞が「適切な数」と「適性な種類」の神経細胞を作り出すことによって形づくられる。脳が形成された後は、余分な細胞が作られないよう、神経幹細胞の一部が休眠(多能性や幹細胞としての性質は維持されつつ、時期に応じて細胞産生を再開すべく待機している状態)して「休眠成体神経幹細胞」に変化すると考えられているが、その分子的なメカニズムは謎に包まれていた。
ショウジョウバエの場合、神経幹細胞から神経細胞が作り出される過程は、以下のようになっている。まず、特定の領域に神経幹細胞が産生される。次に、神経幹細胞が非対称分裂によって自己複製と娘細胞の産生を繰り返す。このとき、時間変化を経た神経幹細胞は、時間に応じた特定の性質を娘細胞に与えていく。「私は、時間変化と神経幹細胞の研究を9年続けてきたが、その過程で、中枢神経系の部品である神経細胞が、いつ、どのくらいの数、用意されているのかという問題、すなわち神経幹細胞の休眠制御も重要であると気づいた」と一色准教授。
今から4〜5年前、ショウジョウバエにおける神経幹細胞の系譜形成の全体像がみえてきたところで、一色准教授は、本格的な神経幹細胞の休眠研究をはじめることにした。ショウジョウバエの神経幹細胞は、体幹部では半体節あたりで約30個ずつ作られるが、マーカー分子を用いることで、どれが、いつ、どこにできるのかを同定することが可能になっていることも、研究を後押ししたという。
一色准教授は、自らが開発した「ある一つの幹細胞(NB3-3)の系譜を、個体内で追跡して観察できるモデル系」を使って、神経幹細胞が、いつ、どのようにして休眠状態へと誘導され、休眠後の幹細胞がどういう状態に置かれるのかを調べた。その際、幹細胞の目印として、ある時間を経たところで特異的に発現される8種のマーカーと、NB3-3系譜のみでみられるマーカーを用いた。「こうすることで、神経幹細胞の時間変化のようすを、産生直後から休眠期を経て幼虫期に至るまで、一分裂ごとの高い精度で観察することができた」と一色准教授。
実験の結果、ショウジョウバエでははじめて、休眠している神経幹細胞が同定されたほか、神経幹細胞の正確な休眠時期が明らかにされた。また、休眠前後の神経幹細胞の系譜形成と時間変化が、発生初期から幼虫期まで連続して進むことや、休眠が幹細胞の時間変化をいったん停止させることなどもわかったという。「ただし、もっともインパクトの大きかった成果は、休眠が、神経幹細胞内で『一定の時期に、限られた時間だけ発現される因子群』と『Hoxタンパク質』によって、細胞自律的に誘導されることがわかった点だ」。一色准教授は、そうコメントする。
Hox遺伝子は、生物に広くみられ、体の節を形成するためにはたらくことが知られている。一色准教授は休眠が胸部と脳においてのみおきることから、Hoxタンパク質による制御を受けている可能性が高いと考え、Hox遺伝子に変異をもつショウジョウバエの休眠誘導を、やはりNB3-3系とマーカーを用いて調べた。「予想どおり、あるHox遺伝子に変異をもつ個体は神経幹細胞の休眠が阻害されていた」と一色准教授。一方、「一定の時期に、限られた時間だけ発現される因子群」は、Hoxタンパク質とは独立してはたらいていることもわかったという。
最近になって、ほ乳類の神経幹細胞の時間変化にも、ショウジョウバエのような制御メカニズムがあるとの報告が相次いでいる。こうした一連の成果は、将来、再生医療において神経幹細胞の休眠を人工的に誘導したり、解除したりするためのヒントにつながる可能性もある。「私はまず、『一定の時期に、限られた時間だけ発現される因子群』などの下流で休眠を引き起こす実行部隊の分子がなんであるのかを明らかにしたい」。そう話す一色准教授の基礎研究は、まだ先が長いようだ。
西村尚子 サイエンスライター