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原子の可視化や識別、操作はどこまで進んでいるか ~走査型プローブ顕微鏡(SPM)が開く、新しい世界

2008年9月26日

微小なものや小さな空間で起こっている反応を見たいという欲求は、いつの時代にも人間を虜にする。そして、その実現が科学を発展させてきたともいえるだろう。

今、わずか0.3 nm程度の直径の原子を可視化する研究が進んでいる。さらに、それが何の原子かを識別したり、原子を1個ずつ動かしたりする技術も開発されてきた。

この原動力となっているのは、走査型プローブ顕微鏡(SPM:scanning probe microscopy)の進化だ。SPMには走査型トンネル顕微鏡(STM:scanning tunneling microscope)と原子間力顕微鏡(AFM:atomic force microscope)とがある。いずれも顕微鏡とはいえ、レンズはない。

STMは探針を導電性の試料に近づけた際に双方が接触していなくても流れる「トンネル電流」をプローブとし、その変化から、試料の表面の電子の状態や構造、物理的・化学的性質を観察できる。Gerd BinnigとHeinrich Rohrerが1982年に発明し、2人は1986年にノーベル物理学賞を受賞。早くも開発の翌年の1983年にはシリコンの表面を見ることで、原子分解能を達成している。

ただ、観察には電流が必須で、絶縁体に近いもの、絶縁体の金属酸化物は観察できず、金属や半導体に使われている。

一方、AFMは1986年にSTMと同じくBinnigらによって開発された。腕のようなカンチレバーの先に探針をつけ、梃子(てこ)の原理を用いて試料の表面を走査し、探針と試料表面の原子間力をプローブとする。当初は探針を試料の表面に接触させて、試料の凹凸を調べていたが、それでは試料が破壊されるため、弱い力で周期的に接触させ、斥力で測定する方式が導入され、現在では非接触で引力などを測定するタイプが主流(図1:大阪大学大学院の森田清三教授らが開発したAFMの模式図)。AFMは、STM とは異なり、金属や半導体、絶縁物にも使えるため、セラミックス、高分子、タンパクやDNAのような生体分子の観察にも応用され始めた。原子分解能を達成したのは1995年で、やはりシリコンの表面が観察されている。

図1:大阪大学大学院の森田清三教授らが開発したAFMの模式図。 | 拡大する

SPMは超高真空下での観察から始まったが、現在では大気中や液中での観察も試みられている。日本では欧米に比べ、STMの研究はスタートが遅かった反面、AFMの開発が進んでおり、世界のトップを走っている。

電子の化学結合力を使うAFMで原子の識別や操作が可能に

大阪大学大学院工学研究科の森田清三教授(電気電子情報工学専攻)は、AFMを使い、原子の可視化だけでなく、識別や操作までを可能にした。

1990年、IBMの研究者がSTMを用いて、探針の引力によってキセノン原子を並べて描いた“IBM”という文字に刺激を受け、ナノスケールでの材料やデバイスの作製を目標に定める。当初はSTMを研究していたが、高機能の材料やデバイスは多種類の原子が使われ、絶縁体の研究も必要になると考えて、AFMの開発にターゲットを変えた。

STMで行われた、高電圧で原子を蒸発させる電界蒸発の実験をAFMで再現しようと試みていたとき、電圧をかけなくても斥力や引力で原子が抜ける現象を学生が見つけ、原子の移動を行えるようになった。さらに、室温では熱エネルギーによって原子が入れ替わる現象があることを見つける。

2005年には、森田研究室の学生がAFM を使い、9時間かけて埋め込んだスズ原子を隣のゲルマニウム原子と120回交換して、スズ原子で“Sn”の文字を描くことに成功(図2)(*1)。2種類の原子の操作を可能にし、世界で初めての原子埋め込み文字を発表した。

同年、特定の原子に探針を合わせ、接触するかしないかの位置で保ちながら、必ずその原子のところに探針が戻る「アトムトラッキング技術」を開発。また、シリコンの探針と試料に含まれる原子の双方の最外殻電子同士が引き合う最大引力は、原子の種類によって一定の比になることも明らかにした(図3)(*2)。「シリコン:スズ:鉛は100:77:59になることがわかり、これによって、見ている原子がシリコンかスズか鉛を識別することができるようになった」と森田教授。これはAFMで混在した個々の原子を識別した、世界で最初の例となった。

これらの成果に対し、森田教授は、2007年度に応用物理学会第1回フェロー表彰と日本顕微鏡学会学会賞(瀬藤賞)をダブル受賞。また、この10月には、材料や表面科学の研究者に贈られるアメリカ真空協会(American VacuumSociety)のthe Albert Nerken Awardを受賞することが決まった。

図2:スズ原子で描かれた“Sn”の文字。 | 拡大する
図3:シリコンとスズ、鉛の原子を識別。 | 拡大する

森田教授は、材料やデバイスにつなげるべく、次の研究を始めている。「AFM ではノイズを減らし、感度を上げて、シリコンとの化学結合力の差が小さい原子の識別に取り組みたい。また、シリコンやゲルマニウムを骨格にして原子を積み重ね、高分子のワイヤーやクラスターを作るのが夢」と抱負を語る。

強誘電体材料の分極の向きや表面の凹凸を見る顕微鏡で原子を観察

東北大学電気通信研究所の長康雄教授(情報デバイス研究部門 誘電ナノデバイス研究分野)は、走査型非線形誘電率顕微鏡(SNDN:scanning non-linear dielectric microscopy)を開発し、超高真空下で原子の可視化に成功している。

SNDNは強誘電体材料の表面の誘電率の分布を調べるもので、SPMの一種といえる。強誘電体は外部に電場がない状態でプラスとマイナスの分極が整列していて、電場をかけることによって分極の並びが変化する。長教授は当初、バルクとしての分極の並びを測定していたが、表面のミクロな範囲での分極を知りたいと考え、1994年から装置開発に取り組んだ。

SNDNでは、低周波の電界をかけることで試料の誘電率が変わり、静電容量が変化して、中に入っている高周波発振器の周波数が変調する。この周波数の変化を、FM復調器を用いて、いったん電圧信号に変え、それをロックインアンプ(微小信号をそれと同一周波数の参照信号を用いて同期検波し、微小信号の振幅と位相を検出する装置)で検出する。この高周波発振器からの出力は非線形成分と線形成分に分離でき、さらに非線形成分も各非線形の次数を分離して観測できるため、電界の二乗の非線形成分で分極を観察するとともに、三乗の非線形成分で表面の凹凸も測定可能になった(図4)。細く尖らせ、かつ電界をかけるため、針はプラチナイリジウムやタングステンなどの純粋な金属を使う。「AFMのようにカンチレバーで針の試料への接触を制御する方式も試し、一定の成果が出たが、実はカンチレバー自体が持つ浮遊容量が感度を下げるため、STM同様、針だけのほうが分解能が高くなる。今は、三乗成分の電界の試料への侵入長をフィードバックして探針の上下を制御し、カンチレバーを使わずに非接触で原子レベルまで見えるようになった」と長教授。現在までに、シリコン(*3)やグラファイトの原子、フラーレンの構造などを観察した。

SNDNは市販も始まっており、強誘電体メモリの動作解析や材料の評価などへの利用が期待されている。長教授も分子メモリなどデバイスの開発を目指している。

液中で周波数の変化を捉え、原子や生体分子の構造を探る

液中で使えるAFM も進化し始めた。京都大学大学院工学研究科の山田啓文准教授(電子工学専攻 電子物性工学講座 電子材料物性工学分野)は、周波数の変化を検出するFM(frequency modulation)-AFMを液中で使えるように、制御装置を新たに開発した。

液中ではAFM特有のカンチレバーが液体の抵抗を受け、振動が安定しない。また、試料の表面ではイオン吸着や解離が絶えず起こり、静電的な力のゆらぎが多くなる。さらに試料表面や探針は近くにあるイオンと電気的に釣り合って電気二重層を形成しており、探針が試料表面に近づくと、電気的な相互作用のために探針の動きが制御しにくい。このように液中でのAFMの測定は、超高真空中や大気中にはない、難しい条件をクリアしなければならない。

図4:走査型非線形誘電率顕微鏡(SNDN)の画像。 | 拡大する
図5:水中のマスコバイトマイカの表面。 | 拡大する
図6:高度好塩菌の紫膜の構造。 | 拡大する

山田准教授らは、FM放送における信号解析を基に、信号源から遡って、周波数の変化を起こすノイズの成分を分析した。すると、カンチレバー自体の振動がノイズとなっていることがわかった。「FM放送局自体がノイズを出していたようなもの」と山田准教授。そこでカンチレバー振動の雑音を減らし、カンチレバーの振り幅を細かくすることで感度を上げ、マスコバイトマイカ(白雲母)基板の表面の液中での原子分解能観察に成功した(図5)(*4)。

さらに、このFM-AFMを用いて、生体分子も観察している。図6は、高度好塩菌の細胞膜上にあり、膜タンパク分子bacteriorhodopsinを多く含む紫膜をマイカに吸着させたもの。すでにX 線構造解析や電子顕微鏡によりbacteriorhodopsinの構造は明らかにされていたが、液中での様子は不明だった。

また、山田准教授らは、試料表面上の水の水和構造をFM-AFMによって測定している。これまでにマイカやポリジアセチレンの試料表面上では水分子が試料上のイオン官能基などと結合して試料表面を覆っていて(水和)、試料表面と試料から離れた部分では水分子のふるまいが異なり、水の層ができていることを明らかにした。「水和はタンパク質の構造や機能と関わっていると考えられている。水和構造の計測によって、生物学の分野でも新しい知見が得られる」と期待する。

新しいタイプのSPMが続々と登場

21世紀に入り、多彩な成果を出し始めたSPMの発達は留まるところを知らない。

森田教授は、「欧米で電子のスピンを測定するSTMなどの開発が進み、スピンを原子レベルで画像化できるようになった。これは将来のスピンを用いたデバイスや材料の開発に向けて、注目される技術」と話す。

山田准教授は、「超音波とAFMを組み合わせて、表面直下までを測定する超音波AFMの今後に注目している」と語る。高分子やセラミックの表層の構造だけでなく、細胞膜のすぐ裏側や細胞の硬さなどの情報も取れる可能性がある。AFMのカンチレバーに穴を開けて溶液を射出するなど、AFMを加工のためのツールとして使う研究も進んでいる。さらに、山田准教授は2つのAFMカンチレバーを同時に制御し、試料上の2点に接触させて、電極として使用することで、カーボンナノチューブなどのトランジスタ特性を測定する研究も行っている。

また、SPMと電子顕微鏡や光学顕微鏡との組み合わせも試みられている。電子顕微鏡は動作環境や試料に大きな制限があり、光学顕微鏡は観察分解能が1 μm程度までに限られるが、改良や組み合わせによって、その特徴を生かした測定が行えるようになりつつある。とくに光学顕微鏡では蛍光識別された試料観察とAFM観察との直接比較が可能であり、生物学の分野に新しい知見をもたらすことが期待される。

こうしてみると、いいこと尽くめのようなSPM開発・測定の現場だが、一方で悩みもある。SPMでの測定では、振動や熱を制御することが必須で、環境の影響が大きい。長教授は「地下鉄の走行や冷暖房が関係しているのか、朝方にはクリアなデータが出るようだ」と言う。また、研究室の誰が実験しても、同じようなデータが出るわけではなく、試料、研究者の技術、環境といった条件が揃わないと成果が出ない傾向がある。特殊な機能を持つSPMは当然ながら「開発者=ユーザー」であり、広く使われることがないのが現状だ。

また、この分野に取り組む若手研究者が少ないことも懸念材料。「日本の電機産業に活気がないこともあり、電気工学に進む学生が減っている。とくに装置の開発は基礎物理学とトレーニングが必要で、研究に地道な努力と粘りが欠かせない。成果が目に見えるロボットやITなどと比べると派手さがなく、学生が敬遠するようだ」と長教授。森田教授も「化学やシミュレーションの専門家が加わってくれれば」と話す。

「原子や分子を見るための基礎研究への投資が減っているのは気がかり」と3人は口を揃える。2004年から始まった科学技術振興機構(JST)の先端計測分析技術・機器開発事業のように、機器開発を目的とする研究資金は提供されているが、原子や分子のふるまいの原理の追究に使える資金はそれほど多くないのが現状だ。AFMなど日本が世界をリードする計測分野での研究成果は、材料工学や生物学など他分野の進展にも波及する。今後の研究の成果と、それが国や大学、研究機関などの資金配分にどう生かされるかは注目されるところだ。

小島あゆみ サイエンスライター

【引用論文】

  1. Y. Sugimoto, et al. Nature Materials 4, 156 –159 (2005)
  2. Y. Sugimoto, et al. Nature 446, 64 – 67 (2007)
  3. Y. Cho, et al. Physical Review Letters, 99,186101–1–186101– 4 (2007)
  4. T. Fukuma, et al. Appl. Phys. Lett, 86,034103–1 (2005)

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