腸内常在菌研究の成果を健康増進につなげる
2008年8月28日
理化学研究所バイオリソースセンター微生物材料開発室
辨野 義己 室長

理化学研究所バイオリソースセンター微生物材料開発室は、前身の理化学研究所微生物系統保存施設が1980年に微生物の系統保存・提供事業を始めて以来、一般微生物の寄託と提供の分野では世界有数の機関になった。2007年から始まった文部科学省第2期ナショナルバイオリソースプロジェクトでも、一般微生物に関する中核機関として機能している。
保存する一般微生物の約1万8300の微生物株のうち、バイオセイフティーレベル2の菌株も含め、学問的に、また応用の価値の高い約 1万1000株(約6600株の細菌、約280株の古細菌、約4000 株の真菌)を公開し、年間3500~4000株を提供。新種・新属の命名提案に必須である「寄託証明書」の発行も年間約600株で、「寄託を受ける公的な微生物株保存機関としては世界第2位」と辨野義己室長は胸を張る。
2007年には品質管理の国際規格ISO9001の認証を取得し、保存微生物の品質管理に努めている。また、提供した細菌がどう使われたかも論文検索などで調べ始めた。「昨年1年間で約500株が約280報の論文に使われていた。このような調査は、業績を示せるだけでなく、微生物研究の将来や我々がどの菌株を集めるべきかを知る手がかりになる」(辨野室長)。
一方で、とくに健康や環境の分野に関与する微生物や極限環境微生物の探索にも力を入れており、5年間で新種を30種以上発見(図)。微生物の迅速な分離、培養、保存の技術開発、微生物データベースの構築も同室の研究テーマだ。
このような成果を挙げている背景には、「従来からの培養法に加え、分子生物学的手法をいち早く取り入れたことが大きい」と辨野室長は語る。
辨野室長は1970年代から腸内常在菌の研究を始め、ヒトの便から得て性状検査をした菌株数は約4万5000、そのうち未知の菌株数は約1万5000と、培養法で膨大な数の菌種同定を行ってきた。「まさに“糞”闘努力の日々だった」。ただ、研究テーマである大腸がんの成因に関与する腸内常在菌の探索が難航し、「培養による研究に限界を感じていた」。
80年代に入り、微生物学に遺伝子配列による分類法が導入され、「ヒトの腸内常在菌の75~80%は培養が困難」という論文が出て、辨野室長は衝撃を受ける。以来、分子生物学的手法を学び、1992年に農林水産先端技術研究所でルーメン(反芻動物の第一胃)の共生微生物研究チームのリーダーとなった後には、DNAのクローンを用いてルーメン細菌の全容を解明してきた。
理研でも90年代半ばから腸内常在菌の研究にDNA解析を取り入れ、中でも多様性解析と遺伝子解析を組み合わせるターミナル・RFLP(terminal restriction fragment length polymorphism)法を採用したことで、ヒトの腸内常在菌のプロファイル作成が進む。糞便中の常在菌から直接DNAを取り出し、PCR法により増幅して、制限酵素で特異的な4塩基配列を切断、その産物を電気泳動させて、腸内細菌叢のパターンを見る方法だ。さらに、培養が難しい腸内常在菌の研究にも着手した。「腸内常在菌では培養が可能な菌は約2割だった。分子生物学の手法を取り入れたら、より腸内常在菌を調べるツールが充実し、腸管免疫など他分野の研究者や企業の関心が高くなった」。
腸内常在菌は肥満や自閉症など多くの疾患との関連が示唆され、宿主に対する機能性に注目が集まっている。
一方で、実験に使う動物は飼育される施設やエサ、飼育者によって同じ系統でも腸内常在菌の構成が異なり、腸内常在菌の研究に影響を与える。そこで、理研バイオリソースセンター実験動物開発室との共同研究でマウスの系統間における腸内常在菌のパターンを検索し、実験動物の品質管理にも役立てようとしている。
また、ヒトでの食品や薬品等の効果や副作用を調べるときも同様のことが起こるため、辨野室長らは成分が明確な試験食を試作し、その投与による腸内常在菌の変化をデータベース化するという。
すでに2005年から、弘前大学医学部とともに青森県岩木町健康増進プロジェクトに参画し、住民の腸内常在菌と生活習慣、運動習慣、食生活などの健康状態を調べる研究を行っている。今後、20~60代の男女1200~1400人に試作した試験食を食べてもらい、腸内常在菌と健康の関連を調べる研究も進展させるつもりだ。辨野室長は「健常人と、例えば糖尿病の境界域に位置するような、病気の一歩手前の未病の人が試験食を摂取したときの腸内常在菌のパターンを比較すると、ある相関性が確認できるのではないか」と予測する。
2009年度には、理研と企業の連携による「おなかクリニック研究所」(仮称)を立ち上げる予定で、腸内常在菌プロファイルを用いた新しい健康診断法の確立に向けた準備が進んでいる。また、腸内常在菌の構成だけでなく、その腸内代謝物も調べ、食生活や血液、尿などのデータも取り込んだ「腸内環境データベース」を構築する。企業や海外の研究者の育成、試験食や機能性食品などの製品開発、医薬品などの評価もテーマ。「“正常な腸内環境”を探りながら、食事や運動によって未病の人の発症を予防したい」。便による健康診断、病気の予防ができる時代の扉が開こうとしている。
小島あゆみ サイエンスライター