Nature Careers 特集記事

日本の特許戦略 — バイオ研究の特許取得はどう行われているか。

2005年3月31日

ハードルが高いバイオ特許

バイオテクノロジーは自然科学の中でも健康や食糧、エネルギーの供給、環境などを通し、人々の生活や経済へのインパクトの強い分野だ。それだけに世界的な競争が激しく、国家的な戦略が必要とされる。中でも特許戦略は非常に重要で、2002年に発表された「バイオテクノロジー戦略大綱」にも「特許獲得で後れを取れば、その国の国民生活にも産業の国際競争力にも、将来、大きな影響が生ずることは避けられない。それを認識している各国の間で、国際的な特許獲得競争の様相を呈している」とある。しかし実際には、日本ではバイオ分野の特許登録が他分野に比べて少なく(図1、2)、海外からの出願が多いことも指摘されている。

バイオ分野の特許の特徴は、一つの特許の価値が高いことだ。例えば家電製品ではひとつの製品に100~1000単位の特許が組み合わされていることがよくある。しかし、バイオ分野の主たる製薬業では、ひとつの医薬品が一つの特許でプロテクトされていることが多い。

一方で、バイオ分野では、特許取得のハードルも高く、特に過去の技術と比べて進歩の度合いが大きい「進歩性」が問われる。バイオ特許に詳しい弁理士で千葉大学知的財産本部特任教授の辻丸光一郎氏は「日本や欧州では、バイオ分野の発明の進歩性は、その発明物を得るのが容易かどうかで判断される。例えば、マウスである遺伝子が公知だとすれば、ヒトで同種の遺伝子を見つけて特許出願しても、公知であるマウスの遺伝子に基きヒトの遺伝子は取得が容易という理由で進歩性が否定される。さらに、化学の分野では、実際に合成していない範囲にまで特許が認められるのに対し、バイオ分野では、実際に取得した遺伝子もしくはタンパク質でないと特許が認められにくい現状がある」と言う。

政策研究大学院大学の隅藏康一助教授は「バイオ分野では研究開発のリスクが高く、それが特許行動にも反映されている」と指摘する。

日本の特許制度では特許を出願した後、3年以内に審査請求をしないと審査されないが、「審査請求までの間に研究の進展や他社の動きを見て、応用範囲を補正したり、最終的に医薬品につながらないことが予想されたものは審査請求をやめたりするために、バイオ分野ではほかの分野に比べて審査請求までの時間が長く、審査請求率も低くなっているようだ」(隅藏助教授)。

バイオ特許の取得が困難な理由の一つには、特許制度自体がバイオ特許を想定して設計されていない点がある。「もともと特許制度は機械や電気の分野を対象として制度設計されており、日本でも化学物質の特許が認められるようになったのは1975年の特許法改正から。また、現在の特許庁の運用では、遺伝子やタンパク質の発明は化学物質の発明として扱われているが、ゲノム解読プロジェクトの進展等で、遺伝子やタンパク質の発明は情報技術と融合してきており、これらを化学物質の発明として扱うのには限界が来ているのではないか」と辻丸氏は言う。バイオ分野の発明の扱い方は、世界的にも問題視されており、このため、日本、米国および欧州の各特許庁が互いに審査基準を確認しあう比較研究が実施されている。また、バイオ分野の特許に関する裁判例も増えて判例も蓄積されてきた。これらの動きにより、従来のバイオ特許の問題は、大部分が解決されてきたようだが、技術の発達に法制度が遅れる現状に変わりはなく、今後も新しい問題は発生するであろう。

成果を上げる東京大学のケース特許を取得するには、種をどのように見つけるか、それを特許出願するならばどんな内容でどこの国に出すか、どのようにライセンス化するのか、を見極める必要がある。「特許の本質は合法的独占による市場での優位性を確保すること。この点を見極めて特許戦略を構築しなければならない。特に、製造販売といったビジネスの主体になり得ない大学等のアカデミアは、特許出願戦略やライセンス戦略を慎重に立てる必要がある。特許は、活用しなければコストを生み出すばかりで、戦略なき特許出願は不良資産を増やすだけ」と、辻丸氏は話す。

大学では1998年に大学等技術移転促進法により、TLO(技術移転機関)が組織され、特許出願やマーケティング、ライセンス契約を行ってきた。さらに国立大学では昨年4月の独立行政法人化に伴って、研究成果は従来の個人帰属から機関帰属となり、知的財産部門が作られたところもある。一部の私立大学にもTLOのほかに知財部門が設けられている。まだ多くの大学ではTLOと知財部門の役割や発明の帰属が混乱しているといわれているが、例えば東京大学ではそれらを明確化し、産学連携や特許出願、ライセンス化に実効を上げている。

東大のTLOは1998年8月に設立され、昨年4月には株式会社東京大学TLO(山本貴史代表取締役社長兼CEO)として、東大産学連携本部との一括業務委託契約を結び、東大のすべての発明の権利化を行っている。昨年までの特許出願は1037件、ライセンスやコンサルティングなどの契約は245件にのぼる。設立翌年から黒字になるというのは、すぐに利益が出ないとされるTLOでは異例のことだ。発明は原則として機関帰属で、研究者は発明をしたら発明届出書を産学連携本部の知財部に部局の知財室を通して提出。この発明届出書は即日東京大学TLOに開示され、東京大学TLOはすぐに研究者のヒヤリングを行う。その後東京大学TLOは東大知財部にコメントを提出し、知財部が出願決定をしたら、東京大学TLOが特許化の作業を始める。そして特許出願と同時に産業界へのマーケティングを行い、1年以内を目標にライセンス契約に結びつける。「発明の開示から権利化に至るのは約3分の1で、バイオ分野でみても同様の割合。特許性と市場性があるものを選んでいる」と山本貴史社長は言う。

発足前1年をかけて準備されたクリアなシステムに加え、昨年東大産学連携本部の建物に移転したことも、東大側とのコミュニケーションを図るうえで良かったという。

社員は今年3月末で14人で、12人が民間企業から、2人が大学からの新卒者。「機能性食品の研究者、製薬企業の特許部出身、東大医科学研究所で研究をした後弁理士資格を取った人と、専門知識と社会人経験のある人材のみが集まっている」(山本社長)。山本社長自身はリクルート社で技術移転部門を起業し、東大TLO発足後に請われて社長に就任した。アメリカの産学連携の父と言われるNielsReimers氏が築いたスタンフォード大学の技術移転組織のスタイルを参考にしたが、「スタンフォード大では学内組織で、職員の採用、案件の扱いを権限委譲されているが、日本の大学では学内組織にすると採用にあたっての制約が大きい。そこで学外で株式会社化し、採用の自由を確保した。そうすると採用された側も会社を支えているというモチベーションが違う」と語る。

山本社長は、バイオ特許は他の分野と比べると産学連携になじみやすいと考えている。「大学から生まれる研究成果は基礎的なものが多いが、中でもバイオ分野はひとつの発見が創薬、試薬、診断薬に結びつくように基礎と応用の関係が強い。世界的に見ても基礎研究が進んでいるところほど上流の特許が出やすいとされ、アメリカのTLOのロイヤリティーのうちの約7割はバイオ関連といわれると言うのもそういう理由」だと言う。

研究者が楽に特許に関われるシステムを構築

図1:日本、米国、欧州における特許登録件数の比較(年別合計件数の比較)。 | 拡大する
図2:日本、米国、欧州における重点8分野の特許登録件数の比較(分野別の構成割合)。 | 拡大する

特許には、「進歩性」と共に論文掲載や学会発表を含め、その発明が出願前に公に知られていない「新規性」が問題になるため、「最近は論文投稿や学会での発表の前に研究者に大学に報告させて、大学が特許化するかどうかを判断することが多い」と隅藏助教授は言う。

ただし、それにはたいていの場合、研究者自らがまず発明届出書を書く作業が必要で、特許に関心のない研究者の研究は対象から漏れてしまいがちだ。とくに研究所勤務で雇用期間が限定されている研究者にとっては研究に専念し、論文を書くほうがキャリアに有益であり、発明届出書を書くのにも慣れていない。

そういう点を考慮して特許の種探しのための新しいシステムを作り、成果を上げているのが、昨年4月にオープンした独立行政法人理化学研究所免疫アレルギー科学総合研究センターだ。ここでは半年に一度、バイオ分野に強い特許事務所が研究所の28チームを各1時間インタビューする。研究者は簡単なスキームを書いて説明するだけで、そこには理化学研究所の知財部の担当者も同席する。特許事務所は出てきた案件の中からすぐに特許になりそうなものを選び、知財部に発明届出書を出す。そして知財部の判断によって特許申請が決まったら、研究者は必要なデータをさらに加える。この仕組みのメリットは研究者が楽なだけでなく、早い段階で客観的な目が入ることだ。谷口克センター長は「特許の専門家が客観的に見ると、研究者が想定していない、新しい応用方法が出てきて、特許性が高くなる。インタビューを受けて初めて自分の研究を特許化できる可能性があると知る研究者も多い」と言う。

実際、この仕組みができた昨年9月から12月までの間に25件の発明届が出ており、10件前後の特許申請が行われた。4~8月までが発明届が2件だったのに比べると大幅な伸びだ。

2度目のインタビューがまもなく始まるが、「こうして繰り返しているうちに2年後くらいには研究者の意識も変わり、特許事務所の理解度も上がって、もっと効率が上がるだろう」と谷口センター長は予想している。

企業の知財部の役割増大

企業でも知的財産部門の配置や役割を見直すところが出てきている。

協和発酵工業株式会社の知財部は、社長直属の管理部門と位置づけられ、今年7月からは高橋充部長が執行役員に昇進する予定だ。また、各研究所で特許情報を扱っている技術情報部門が知財部に統合され、知財部門はさらに強化される。

同社では特許出願は国内も海外も“自前”が原則。日本の特許事務所を通すと専門的なアドバイスを受けられるが、一方で情報の活用や知財部員の教育、費用をトータルに考えると自社内で出願するほうがいいと判断しているためだ。ただ、「特許の活用、第三者権利評価、警告書の送付などは外部の法律特許事務所に依頼することも多い」(高橋部長)。外国出願では、ここ数年は欧米だけでなく、アジアでの出願が増えており、出願にあたっては特許性やマーケット、将来の事業性を精査するという。

最近増えているのが他企業とのアライアンスだ。「医薬品は最終的に単独では上市できないことが多く、スピードアップやリスク回避のために早い段階でアライアンスが検討される。知財部は相手の技術、競争相手の特許を調査し、場合によってはアライアンスを有利に進めるために必要な特許を事前に急いで出すケースもある」と高橋部長は話す。大学との連携も増加しており、「国立大学の独法化、TLOの充実で手ごわくもなったが、やりやすくもなった」(高橋部長)。

同社の知財部の今後の課題として、高橋部長は事業部門や研究所とのインターフェースの強化と、海外特許を相手国の法律、制度や市場にさらにフィットさせていくことを挙げている。

試験特許

図3:科学技術の研究に関連する知的財産の循環系。 | 拡大する

現在、バイオ分野で大きな関心を集めているのが、試験研究におけるリサーチツール特許だ。

日本の特許法第69条では「特許権の効力は試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない」と書かれている。「しかし、昨年、産業構造審議会のワーキンググループは、その解釈として、発明自体の研究ではなく、ツールとして用いて研究する場合には試験または研究の例外は及ばないという見解を発表した」と隅藏助教授。これは欧米でも同様の傾向だ。

山本社長は「例えば他人が開発したトランスジェニックマウスを本当に遺伝子が組み変わっているか研究をする人はいないが、そのマウスを使っての研究が医薬品の開発につながると、特許権侵害の可能性がある。日本の大学での研究は営利目的ではないため、損害賠償請求はされないが、論文などの差し止め請求はできる。知財権を守るのは大切だが、科学技術の発展になるかどうかは疑問」と言う。高橋部長も「確かにバイオ分野ではリサーチツールは代替性が少ないが、最終物でもないのに、長い期間がかかる医薬品開発の最初の段階での特許権を設定されると、産業の発展を妨げる結果にもなる。差し止めの効力を弱める、例外規定を設けるなど何らかのルールが必要」と問題点を指摘する。

この点について、隅藏助教授はいくつかの大学や研究機関が持っている特許を相互に自由に使えるパテントコンソーシアムを組織することを提案する。また、政府が一定の場合に強制的にライセンス化させる「強制実施権」の使用も考えられるという。例えば特許権の行使によってがんの検査が高額になっているような場合に、政府が強制的にライセンス化をさせる制度で、「日本の特許法にもあるが、今まで使われた例はない。しかし最近、産業構造審議会のワーキンググループなどにおいて、これを活用すべきという意見も出ている」(隅藏助教授)。

今後のバイオ特許のゆくえはドイツで昨年議会を通過し、今年施行されるバイオ特許法が参考になるかもしれない。「この法律の特徴は、天然に存在するヒト遺伝子の塩基配列の特許は、特許請求の範囲にあらかじめ書かれた応用分野にしか権利を主張できないということ。物質特許の取得者がずっと後に開発される用途にまで特許権を主張できるのではなく、新たな用途を見出した人と権利を合理的に分けているのが新しい」と隅藏助教授。

もう一つ大きなトピックスになっているのが、医療関連行為の特許保護だ。政府の知的財産戦略本部の「医療関連行為の特許保護の在り方に関する専門調査会」でも検討されたが、「企業サイドとして満足すべき結論には至らなかった。先端医療分野では、単純な物質と捉えるのでは限界があり、機能や方法でないと十分表現できないものが多い。この分野で勝負するためには、アメリカと同様、治療方法も特許として認める制度を作ってもらいたい」と高橋部長は強調している。

研究者のための新たなキャリアパス

今、知財分野の人材育成は急務であり、実際若い研究者たちの間では新たなキャリアパスとしても注目されている。

辻丸氏によると、弁理士全体では既に競争に入っているが、バイオ分野は人材がまだ少ないと言う。働く場所も特許事務所だけでなく、企業や大学の知財部門、ベンチャー企業にも広がっている。「専門知識や法律だけでなく、ビジネスセンスがあって、クライアントの要望に応じた特許戦略を提案でき、特許紛争やライセンス交渉もできる人が求められる」(辻丸氏)。

技術的な知識を持ち、知財権について学んだ弁護士や裁判官もまさに新しいタイプの知財の専門職となりうる。2002年に発表された「知的財産戦略大綱」でも法科大学院における知的財産法教育の充実が謳われ、昨年開校した各法科大学院でも実際に知的財産権に関する科目が整備されており、法曹界での知財の専門家の養成は動き始めた。

TLOでも人材は求められている

山本社長は、TLOは知財の総合商社で、バックグラウンドを生かしつつ、職種としては研究者とは違う知のメディエーターが活躍する場と捉えており、「アメリカでは技術移転に関わる職業についているのは3500人位いいるが、日本では98年に始まったばかりでまだ足りない」と語る。

もちろん大学等の知財部門や各研究室でも特許戦略を立てる人が必要であり、さらには知財学の研究者や大学教官の養成も待たれている。専門性を持って民間企業の知財部に入る人もまだまだ少ない。「政府や企業の大きいプロジェクトには最初から知財の専門家が入るほうが進展がスムーズ。そういうマインドを持って人員配置や育成を考えるのも重要な特許戦略」と隅藏助教授は話している。

小島あゆみ サイエンスライター

参考

  1. 特許庁
  2. 日本知財学会
  3. 大学知財管理・技術移転協議会
  4. 知的財産マネジメント研究会
  5. 特許発明の円滑な使用に係る諸問題について」報告書-特許権の効力が及ばない「試験・研究」の考え方-

「特集記事」一覧へ戻る

プライバシーマーク制度